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文春は孤軍奮闘…ジャニー喜多川氏の性加害問題と日本メディアの体たらく

今世紀最大のスーパースター・大谷翔平の少年時代

 WBCで大活躍した大谷翔平が、開幕しても好調を維持している。
 今や日米の大スターだった男が、世界の大谷翔平になった。そんな期待を背負ってもなお平常心を失わず、平然と二刀流をこなす大谷翔平は、今世紀最大のスーパースターといっていいだろう。
 そんな大谷は、どのような両親に育てられ、どんな教育を受けてきたのか。
 文春によると、大谷翔平は岩手県水沢市(現・奥州市)で、3人兄弟の末っ子として生まれた。
 父親・徹は元球児。県立黒沢尻工業高校時代は左の強打者として鳴らし、社会人野球では三菱重工横浜で25歳まで現役を続けたという。
 一つ下の妻の加代子とは職場結婚。彼女は小学校からバトミントンを始め、県立横浜立野高校時代にはインターハイに、社会人になってからは国体に出場しているという。
 父親が自動車ボディメーカーに転職し、大谷翔平の2つ上の姉が生まれると、一家は父親の故郷である岩手県に移住する。奥州ゆかりの源義経の翔けるイメージと、義経が過ごした平泉からとって名付けた。
 父親は182センチ、母親は170センチと大柄で、社会人、独立リーグと野球を続けた兄も187センチだという。
 小さい頃からトマト以外はなんでも食べた。だが、食は細かったそうだ。中学生になって190センチ近くなっても体重は60キロ。花巻東高校に入ってからは、佐々木洋監督から毎日どんぶり10杯のご飯を食べるように指示されたそうだ。
 後年、大谷は「食のトレーニング」が一番きつかったといっていたという。
 よく寝る子だった。最初に触れた球技は母親のやっていたバトミントンだった。その後、リトルリーグに入り、父親と一緒に野球漬けの日々を送る。
 味方がエラーをしてもマウンドでいら立つことはなく、いいプレーをすると、「すごい!」「ナイスプレー」とほめていたそうだが、今と同じである。
 天狗にもならず、練習も率先してやる。両親の教育が良かったと花巻東の佐々木監督がいっている。
 野球人だった父親は、プロの壁の高さをよく理解していた。
「小学生の頃は、翔平がプロに行けるなんて思っていませんでした。野球を始めてすぐ、打者に有利な左打に変えたのは、このまま投手を続けていても、いつか野手に転向を迫られる時が来るだろうと考えたからです。当時はここまで投手ができるとは思っていなかったので」
 一方で学業も優秀だったという。高校時代の成績は平均で80点以上。親は勉強しなさいといったことはないというが、年の近い姉と一緒に勉強をしていたそうだ。
「ありがとうございます」「いただきます」「自分が嫌いなことは人にはしない」「家族一緒にご飯を食べる」「子供の前では夫婦喧嘩をしない」「自分がやりたいと思って始めた野球だから、ほかにやりたいことがあっても我慢する」「小さい頃からお小遣いやお年玉は母親に預け、野球道具の購入に充てていた」
 大谷は少年のころと何も変わっていないのだ。それほどまでに野球が好きだから、好きな野球ができるのだから、ほかのことには気を取られない。それが大谷翔平の一番の強さなのだろう。

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