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歴史エッセイスト・堀江宏樹の「大河ドラマ」勝手に放送講義

『どうする家康』お市の侍女・阿月=小豆? 有名でも実は謎だらけな「金ヶ崎の戦い」

浅井長政が裏切った理由も、信長がそれに気づいた経緯も不明

『どうする家康』五徳姫の「信長に言いつける」は9年後に起こる悲劇の伏線?の画像2
阿月(伊東蒼)| ドラマ公式サイトより

 しかし、史実の信長がいかにして長政の裏切りを確信したかについては不明なままです。有名なのは、長政の妻で信長の妹であるお市の方から送られてきた小豆の袋のエピソードでしょう。両端をヒモで結んだ小豆の袋が「信長が袋の鼠の状態にいる」という無言のメッセージだったというものですが(『朝倉家記』)、これはさすがに創作だと思われます。

 戦国時代の武家の女性にとって、結婚とは、いわば外交官のように、実家の利益を代表して当地に赴くことを意味します。それゆえ、お市の方が夫・長政の裏切りを知ったとしたら、本来ならば信長に伝えねばならないのです。それゆえ小豆の袋のような逸話も出てくるわけですが、しかし、兄の味方をすることは、夫を裏切る行為ですから、お市の方も悩みに悩んだと思われます。これは筆者の推測にすぎませんが、この時の彼女は兄・信長に対し、何も具体的なことは行えなかったのではないかと思われます。

 ドラマのお市(北川景子さん)は、結婚生活について家康から問われたとき、「幸せです」と即答して笑顔を見せていましたが、史実でもお市の方と長政の夫婦仲は、かなりよかったとされます。ふたりが結婚してすぐに(あるいは数年後に/結婚の時期は諸説あります)長女・茶々が誕生し、その後も次女・初、三女・江と浅井三姉妹が次々に誕生するという慶事が続いたほどですから。

 ドラマではお市の苦悩を察した侍女の阿月(伊東蒼さん)が、長政の裏切りを報告すべく金ヶ崎城に向かうことになるようです。阿月はドラマオリジナルの架空のキャラクターとみられますが、「あづき」という名前からして、小豆の袋の逸話を踏まえているのでしょう。しかし予告映像では「阿月が参りましょうか」と申し出る場面があったので、もしかしたら、お市の命令で伝令に向かうというより、主人に迷惑がかからないよう、阿月が(表向き)独断で知らせに行ったという展開になるのかもしれません。

 史実において、信長が長政の裏切りを信じた背景にお市の関与があったかは不明ですが、仮にそうだったとしていくらお市が長政の愛妻であったとしても、浅井家の情報を敵対する信長に横流ししていたことが発覚したのなら、無事では済まないでしょう。ペナルティとして彼女の命を即座に奪わざるをえないでしょうし、そうならなかったとしても、当時の武家の女性の考え方からすると、お市は自害を試みるのでは、と考えるほうが自然な気がするのです。

 しかし、そうはなりませんでした。お市の方は長政と共に小谷城に立てこもり、元亀2年(1571年)8月に長政の命で娘たち3人を連れて城外に脱出するまで、行動を共にしています。長政がお市の方を人質にしていたと考えることもできますが、それなら最後の最後に娘たちだけでなく彼女まで解放するのはどこか不自然に感じられます。

 史実のお市は、兄・信長より、夫・長政に対して肩入れする度合いが大きかったのではないでしょうか。だからこそ、兄と夫の間で板挟みとなり、史実においては具体的な行動は何も起こせなかったのではと筆者は考えているわけです。

 信長が長政の裏切りを最終的に信じた理由としては、当時の織田家の家臣で、近江・若狭方面の外交を担当していた松永久秀が信長に通報したという説もあります(『朝倉記』)。この説も状況証拠が不十分だといわれていますが、カンの鋭い久秀などが、お市周辺の動きなどを通じて浅井家の異変を察し、長政の裏切りに気づいたという可能性はありそうな気もします。

 なぜ長政は信長を裏切ったのか、そして最初はそれを疑っていた信長がどのようにして信じるに至ったかについては、このようにはっきりとしたことはわかっていないわけですが、浅井と六角、そして朝倉の残存勢力から成る連合軍に挟み撃ちにされた信長が、この危険な状況をどうやって乗り越え、京都に生きて戻ることができたかについても、実は定説はありません。

 ただひとつ言えるのは、彼の背中を守った「殿(しんがり)」の部隊が優秀だったということでしょう。「殿」は「後備え(あとぞなえ)」とも呼ばれ、逃走する部隊の最後尾を守り、敵からの追撃を受け止めるという最重要かつ最も危険な役目です。

 一説に、信長は秀吉(当時、木下藤吉郎)を金ヶ崎に残し、「殿」の大役を命じたといわれていますが(『信長公記』)、この時、家康も金ヶ崎に残って秀吉に加勢したとする説もあるので(『徳川実紀』など)、家康を主人公とする『どうする家康』では、家康と秀吉の共闘が描かれそうです。

 もっとも、信長が「金ケ崎城に木藤、明十、池筑その他残し置かれ」と命じた同時代の記録があり(波多野秀治が一色藤長に宛てた書状『武家雲箋』)、木下藤吉郎、明智光秀、池田勝正たち3人の手で金ヶ崎は守り抜かれたと考えられ、家康がここに加わっていた可能性は低いとみられます。危険な殿を務めたという逸話からこの3名のうち秀吉以外の2名の名前も消えているのは、この2人がのちに信長を裏切ったので後世の歴史家から無視されたからでしょうか。

 この退却戦において、秀吉たちが被った損害についてはよくわかりませんが、「人数二千余」の兵を失ったとする記録もあります(『多聞院日記』)。超有名な歴史事件だったにもかかわらず、重要な部分についてはわからないことだらけなのに驚くしかありませんが、それほど激戦だったということでしょう。逆に言えば、史実関係がほとんど判明していないので、後世の歴史家が「推し」の人物の株を上げるための逸話をねじ込みやすいということでもあります。家康が秀吉たちの殿の軍に加わったとする『徳川実紀』も、一次史料に彼の名前がないのをいいことに、「神君」家康の威光を上昇させるために、「実は家康も殿を務めた」ということにしてしまったのではないかとみられます。

 殿の奮戦のおかげで、信長は近江国・朽木を経由し、4月30日、命からがらの帰京に成功しました(『信長公記』)。そして自身を裏切った義弟・浅井長政を討伐するべく、同月9日、岐阜に一度戻って軍の立て直しを図ることになります。

 信長が義弟の裏切りに遭い敗走するという有名なエピソードのわりに判明している事実が意外なまでに少ない「金ヶ崎城攻め」ですが、ドラマではどのように描かれるのでしょうか。放送が楽しみです。

<過去記事はコチラ>

堀江宏樹(作家/歴史エッセイスト)

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『La maquilleuse(ラ・マキユーズ)~ヴェルサイユの化粧師~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『隠されていた不都合な世界史』(三笠書房)。

Twitter:@horiehiroki

ほりえひろき

最終更新:2023/04/16 11:00
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