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歴史エッセイスト・堀江宏樹の「大河ドラマ」勝手に放送講義

『どうする家康』井伊直政が登場! 家康の「美少年好き」設定はドラマでどうなる?

井伊直政にとにかく甘かった家康

『どうする家康』井伊直政が登場! 家康の「美少年好き」設定はドラマでどうなる?の画像2
井伊直政(板垣李光人)| ドラマ公式サイトより

 『御実紀』によると、井伊直政は「姿貌(すがたかたち)いやしからず只者ならざる面ざしの小童」だったそうです。「只者ならざる面ざし」という、この少しボカした表現は、「彼の顔は尋常ならざる美しさで、美少年好きの家康のハートを射抜いてしまった」とも「年少者であるにもかかわらず、井伊家再興の覚悟を背負った面構えが凄かった」とも取れる絶妙な書き方です。

 『御実紀』がこういうボカした表現を用いたのは、同性愛がNGだったからということではなく、“顔の良さで誰かに惚れるようなことは慎むべき”という当時の武士の間における風潮が影響したからだと思われます。特に男色(なんしょく)や衆道(しゅどう)とよばれる同性愛的関係は、精神面がもっとも重要視され、男性同士が心と心で惚れ合わねば始まらないとされていました。無論、これはタテマエにすぎない部分もありますが、初対面で家康が直政のあまりの美少年ぶりに惚れてしまったと取られかねない表現は、『御実紀』においては憚られたのかもしれません。当時の武士社会の暗黙のルールとして、男性同士の同性愛は、正室および側室との関係とは完全に「別腹」の概念で、当事者たちがすでに世継ぎを設けており、恋人男性との関係が職務の妨げになっていなければ、非難を浴びるようなことはありませんでしたから。

 『御実紀』によると、直政が初対面でいきなり大抜擢された「公式」の理由は、彼が名門・井伊家の出身者であるにもかかわらず、(家康を長年悩ませてきた)今川氏真の手で父親を殺され、その後は流浪の身となっていた直政の境遇を家康が哀れみ、その場で召し抱えることにした……という説明になっています。つまり、弱者を哀れむ家康の徳の高さに話がすり替わっており、武田信玄からの刺客の話と同じく、いかにもそれっぽい説明で美少年に寛大な理由が語られてはいるのですが、やはり「思慮深くて倹約家」という『御実紀』も認めた家康のキャラにしては異例すぎる即断と大抜擢であるのに変わりはなく、不自然な印象が残る説明なのです。

 『御実紀』にも登場する直政のかつての境遇は、たしかに哀れなものでした。彼の父・直親の経歴には謎が多いものの、今川家に反騎を翻し、一説には戦死したともいわれます。今川氏真は、直親とともに子の直政も殺すつもりでしたが、新野親矩という武士がとりなしてくれたので、直政の命だけは救われました。しかし、新野が討ち死にした永禄7年(1564)年以降、保護者を失った直政は親戚、家臣の家を転々とする流浪の身となり、寺に入っていたとも伝えられます。

 天正2年(1574年)、直親の13回忌の法要が龍潭寺で行われ、その場で直政の今後を親戚一同で話し合う機会があり、徳川家康に仕えさせようと決まったといいます。当時14歳の直政の美しさはすでに際立っていたのでしょう。おそらく、家康が美少年好きという情報が井伊家の人々にも入っており、家康と対面さえできれば「奇跡」が起きるのではないか、と一族郎党は思っていたのかもしれません。

 そして天正3年、15歳の直政は鷹狩り中の家康に近づき、「自分は井伊家の者だが、家康公に仕えたい」と名乗り出ました。通常なら、対面さえ叶わずに追い払われるか、対面できたとしても、お土産を持たされて帰されるくらいでしょうが、本当に「奇跡」は起きました。先述のとおり、直政はいきなり家康の家臣になってしまったのです。

 ところで、番組の公式サイトには、井伊直政の人物紹介として「女城主直虎によって大切に育てられた井伊家の御曹司で、家臣団の新戦力として活躍。頭の回転が早く、女性によくモテる。プライドが高く、不遜な物言いでよくトラブルを引き起こす」とありますが、この「よくトラブルを引き起こす」という部分は、当時の徳川家中において家康が直政を特別扱いしていた問題を反映していると見られます。

 史実の直政は、家康の「色小姓(=男性の愛人)」と目されていましたが、一方で家康以外の男性――安藤直次という武士とも懇意になって、部屋に引き入れていたという記録まであります(『安藤旧談』)。それでも家康が彼らに怒ったという形跡は見当たりません。家康は、自分に仕えているだけの侍女に手出しをした武士にまで厳罰を与えた記録が残っているだけに、直政に対しては異常に甘かったことがうかがえるエピソードです。

 直政が42歳の若さで亡くなった後も、安藤直次は家康から罰せられませんでした。それどころか安藤は晩年の家康から目をかけられ続け、家康の十男・徳川頼宣の附家老に任命されています。頼宣は紀州藩の藩祖であり、井伊直政と安藤直次の逸話の出典としてご紹介した『旧談』は、江戸時代になってから紀州藩内でまとめられた記録なので、先ほど紹介した話も単なる俗説とはいえないところが興味深いですよね。詳細は文字数の関係で省きますが、直政に甘すぎた家康についてご興味のある方は、拙著『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)をご一読ください。

 それにしても、ドラマでは家康と直政の出会いと2人の関係をどう描くのでしょうか? 『どうする家康』では家康は直政からどうやら襲撃され、それが両者の初対面になりそうで、鷹狩りの場で直政が直談判するという『御実紀』ベースの展開とはなりそうにありません。ただ、直政が(なぜか)女装をしているのであれば、家康が美少女と勘違いし、「第一印象から家康のハートを掴んだ直政」という構図自体はドラマで描かれる可能性はありそうです。

 『おんな城主直虎』では、万千代時代の直政(菅田将暉さん)は、自分が家康の小姓として雇われたのは愛人にさせられるためだったのではと疑い、戦々恐々とするシーンがありました。『どうする家康』は女性同士の関係もすでに描いていますから、男性同士の関係の表現にも画期的な一歩を踏み出してほしいものです。自分の過去の所業が直政に暗い影を落とし、その責任を感じる一方で、直政の美しさに戸惑う家康……なんてことになると興味深いのですが、はたしてどうなるでしょうか。

<過去記事はコチラ>

堀江宏樹(作家/歴史エッセイスト)

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『La maquilleuse(ラ・マキユーズ)~ヴェルサイユの化粧師~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『隠されていた不都合な世界史』(三笠書房)。

Twitter:@horiehiroki

ほりえひろき

最終更新:2023/04/24 04:14
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