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自分の過去を「笑いに変える」芸人の存在意義と松本人志『チキンライス』の歌詞

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松本人志

 とても興味深いネット記事を見つけた。それはダウンタウンの浜田さんがMCを務める人気スポーツバラエティ番組「ジャンクSPORTS」(フジテレビ系)の違和感について述べているもので、特集の組み方、それに沿って繰り広げられるトップアスリートたちのトークに強い違和感を覚えたというものであった。

 その筆者が違和感を感じたのは、かつて部活動などで経験したであろう、ブラックと呼べる指導法、そして先輩たちからのいじめともとれる「かわいがり」といういじり。それを乗り越えてきたアスリートたちにより、そのようなエピソードが語られる。本来ならネガティブになりそうなトークテーマだが、スポーツバラエティ番組ということもあり、浜田さんの巧みな手腕により面白おかしいトークに変換され、視聴者に届けられる。という、本来なら笑えないトピックを笑いに変換するという部分に違和感を感じているようだ。

 その筆者はトップアスリートの努力や経験全てを笑い話に変えるのがいけないと言っているわけではない。ある程度クスっと笑えるような話もスポーツを楽しむひとつの方法として認めており、まったく問題は無いと仰っている。つまりこの方は、1人の人生を変えてしまうかもしれない行き過ぎた指導法や、いじめといった人権に関するブラックな話題を笑い話にしてしまうことに違和感というか憤りを感じているように思える。

 この方は元アスリートであり、同じような境遇を経験しているとすれば笑えないだろう。その方曰く、同様の経験をしている人にしたら、このトークがきっかけで、耐え忍んだ日々や挫折して部活動を辞めた事など思い出したくもない記憶を呼び起こす可能性があり、さらに自身がトラウマのように感じている話題を笑いとして電波に乗せていることで、本来スポーツの面白さや魅力などを伝えるという意図の番組が、スポーツへ対する嫌悪感を引き出すことになっているのではないかということなのだ。

 僕はスポーツの経験がほとんど無いので、上記のような気持ちはわからないが、確かにそうなのかもしれないと納得が出来た。しかしその記事の中にどうしても流すことのできない話題が書いてあったのだ。それは「笑い」に関する見解の部分だ。

 この方はスタジオ内で完結する笑いを「内輪ノリ」と捉えているようで、その「内輪ノリ」にも違和感を感じてらっしゃって、さらに昨今のお笑い芸人の意識から「誰にどのように見られているか」、つまり視聴者という存在が抜け落ちており、視聴者を置いてきぼりにしてまるで仲間内だけで話をするような雰囲気に満ち満ちているように見えているらしい。

 かつてダウンタウンさんの漫才は「そこら辺にいる兄ちゃんが2人で喋っているように見える」と言われたことがあった。確かにダウンタウンさんが出現する前の漫才は基本的にコンビが背中合わせになり、ほとんど顔を合わせずお客さんの方を見てネタをするというのがお馴染みだった。しかしその邪道な漫才をするダウンタウンさんがお笑い界のトップであり、今の笑いの教科書になったのだ。時代は変化していく。

 この方が感じているようにもしかしたら昔より「内輪ノリ」に見える笑いが増えたかもしれないが、それは時代の流れに沿っているだけで、決して芸人が視聴者という存在を忘れているわけではないのだ。むしろ視聴者がその「内輪ノリ」を望んでいるから、芸人はそれを提供しているのだ。

 スタジオ内だけで完結する笑いと言っているが、スタジオ内だけで完結しない笑いとは一体どんな笑いを指しているのだろうか。スタジオ内で行われる笑いの方程式のほとんどは、そのキャラクターを知らなければ笑えなかったり、面白くなかったりする。これが漫才やコントなどのネタの場合、ネタ自体が面白く作ってあるので、演じているキャラクターがどんな人であってもある程度笑いが起きるのだが、スタジオでほぼアドリブでトークを展開する場合は、どうしてもキャラクター頼りになるのだ。

 つまり昔は面白く、今は面白くないと感じているのなら、それはスタジオにいる今の芸人のキャラクターを知らなかったり、パターンを理解していないだけなのではないだろうか。さらに芸人がよくするエピソードトークで「ここだけの話」と言って近しい人間にとどめておくような、本来笑いに変えてはいけない話を笑いに変えて電波に乗せるという風潮もお気に召さないようだ。その理由も先ほどのアスリートの時と同じで、視聴者の中にブラックな環境で挫折を余儀なくされている人がいるからと。

 ぶっちゃけそんなことを考えていては何も話せない。自分の父親の面白いエピソードをしたいけど、父親がいない人、父親に虐待された人のことを考えたら話せないとか、この間居酒屋で面白い話があったけど、ブラック企業の居酒屋で勤めている人がいるかもしれないからやめとこうと思わなければいけないということなのだろうか。

 芸人が過去にブラックな環境に身を置いていたとしても、それを笑い話に変えるのが芸人の仕事であり、同じような環境にいる人へも、笑い話にすることによって、心の重さを軽くしたり、元気を取り戻すきっかけになる為に話しているのだ。現に芸人になった人の中には、自ら命を終わらせようとしていたがお笑いを見て思わず笑ってしまい、お笑いという職業の尊さを知り芸人を目指したとか、刑務所の中で自分の将来を考えたとき、お先真っ暗で自暴自棄になりかけていたが、芸人になって面白いことをしたら誰かを幸せに出来るかもしれないと芸人を目指すような人もいるのだ。

 同じようなブラックな環境にいるからそれを笑いにしてはいけないなんて、まったくもってナンセンスだ。そんな環境ですら笑いに変えられるのが芸人の凄さであり尊さなのだ。ダウンタウンの松本さんが作詞した楽曲「チキンライス」には、子どもの頃は貧乏だったが「最後は笑いに変えるから」という一文がある。それこそが芸人の存在意義であり、芸人が憧れるカッコイイ姿なのだ。

 もちろん個人の意見なのでこの方の考えを否定するつもりは無いが、僕がアスリートの気持ちがわからないように、この方にも芸人の気持ちや尊さはわからないのかもしれない。なので自分が経験したことの無い職業は基本的にリスペクトし、否定しないという気持ちが大切なのではないだろうか。

 なんか久しぶりにカラオケに行きたくなってきた。「チキンライス」キーが高いんだよなぁ。

檜山 豊(元お笑いコンビ・ホームチーム)

1996年お笑いコンビ「ホーム・チーム」を結成。NHK『爆笑オンエアバトル』には、ゴールドバトラーに認定された。 また、役者として『人にやさしく』(フジテレビ系)や映画『雨あがる』などに出演。2010年にコンビを解散しその後、 演劇集団「チームギンクラ」を結成。現在は舞台の脚本や番組の企画などのほか、お笑い芸人のネタ見せなども行っている。 また、企業向けセミナーで講師なども務めている。

Twitter:@@hiyama_yutaka

【劇団チーム・ギンクラ】

ひやまゆたか

最終更新:2023/07/01 07:00
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