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お笑い界も直面する「昔は◯◯だった」…ウッチャンいとこのツイートに共感

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Getty Images

 「昔は〇〇だったが、今は〇〇だ」

 この言葉は代々受け継がれている言葉で、ある程度年齢を重ねた人が現状に対して発するものである。代々受け継がれているとは言ったが、本当に受け継がれているわけではなく、いつの時代でも、ある程度年齢を重ねた人間は、自分の過去と現状をどうしても比べてしまうという話だ。

 しかしこのセリフを聞いた若者は往々にして苦い顔をする。それは「昔はこうだった」という人間に対して一種のハラスメントを感じてしまうからだ。確かに「昔はこうだった」の後に「だから昔のようにしろ」や「そんな俺は凄いだろ」という言葉が続いてしまうと、ただの自慢話や強制的に何かを押し付けるワードになってしまい、「昔はこうだった」という言葉自体がネガティブな印象になる。

 なので若者はこの「昔はこうだった」というワードを聞くと「昔に固執したら改善しない」や「過去を振り返ってばかりいるのは無意味」、さらには「自分が正しいと思っている」などと反論したくなってしまうのだ。

 僕も若いころは同じように「だから何だよ」と思っていたことはあったが、自分が年齢を重ねて思うのは、この「昔はこうだった」という言葉は、過去に固執しているわけでも、自慢しているわけでもなく、今と昔の違いに驚き、そして自分が年を取ってしまったことを憂う言葉なのである。

 自分が若いころに当たり前にしていた行動や思考が、現代の若者と比べて明らかに違うものであり、時代がどれだけ流れたかを実感する。そんな驚きとセンチメンタルな思いが「昔はこうだった」という言葉となって思わず口から出てしまうのだ。さらにその言葉を発することにより、自分自身を納得させるという効果もあるかもしれない。

 なので「昔はこうだった」や「今はこうなんだ」などと比較する言葉を発している年配者がいたとしてもそこに決して悪意はなく、思わず出てしまった言葉として受け取ってほしい。

 もちろん時代が移り変わっているのはお笑い業界も一緒で、最近次のような記事を目にした。昨年10月、38年もの間出演してきたモノマネ番組を卒業し、芸歴40年を超えても新たなことへ挑戦し続けるモノマネ芸人「コロッケ」さんの現在を取材したものだった。

 モノマネ番組を卒業した直後の話や、現在活動の中心としているVRの話など、インタビュー形式で書かれており、その中でモノマネ番組の「審査員」の話をしていた。番組を卒業したコロッケさんは審査される側から審査する側へと変わり、審査員には審査員なりの苦労があるらしい。それは「褒める時代」となった現代において、一緒に戦ってきた仲間だからこそ真剣に見てしまい、時には厳しいことも言いたくなる。

 しかし時代に合っていないので逆に分かったうえで褒めてあげたいと思っても、番組が求めていないコメントになってしまったりするそうなのだ。昔の審査員というのはどんな番組においても、時に厳しく時に優しい、自分の思ったことを思ったままに発言するというイメージだったのだが、審査員という立場であってもそこまで気を使わなければならない時代になったのだ。

 もちろん褒めることは良いことで、審査した相手が成長する効果があるのはわかるのだが、例えばもっと出来るであろう人が、妥協したネタをした場合、本当に褒めるべきなのだろうか。もちろん何かしらの褒め方はあるかもしれないが、「本来もっと出来るはずです。今回は手抜きに見えました。次に期待しています」という少し厳しく捉えられてしまうような審査でも、この言葉ならとても嬉しい。

 なぜなら、この審査の中には相手へ対してのリスペクトや期待感が感じられるからだ。しかし表面的に厳しく見えてしまうと、このような表現でも時代に合っていないように見えてしまうのだろうか。

 時代の移り変わりを感じたのはこの記事だけではない。とある作家さんのツイートでもそれを感じたのだ。とある作家さんというのは僕が芸人時代に大変お世話になった「内村宏幸」さんだ。内村宏幸さんはウッチャンナンチャンの内村光良さんの従兄であり、「夢で逢えたら」(フジテレビ系)、「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」(日本テレビ系)、「ダウンタウンのごっつええ感じ」(フジテレビ)「リンカーン」(TBS系)「にちようチャップリン」(テレビ東京系)「LIFE!~人生に捧げるコント~」(NHK系)など様々なバラエティ番組に携わる日本を代表する放送作家のひとりである。

 そんな内村さんがこんなツイートをしていたのだ。

 「芸人を目指す人たちのネタ見せをやったのだが、最後に何か質問はありますかと聞いたら『どこか良かったところはありますか?』と聞かれた。こんな事は初めて。同じ事を聞いてきた人が他にもいた。これも時代なのか」

 このツイートに対して「昔は聞かれなかったこと?昔は何を聞いてたのでしょうか?」「どんなところに違和感があったのですか?」など、このツイートに対して疑問を持つコメントがあったのだ。

 僕は元芸人でそれも昔の芸人なので、この内村さんのツイートはとても共感できる。逆にこの違和感に気づかないのかと驚いてしまった。昔の芸人で「良かったところ」など聞く芸人はいなかった。それは「良かったところ」は笑いが起こったところで、計算通りに伝わったところなのだ。なので聞くまでもなく、見ている観客や審査員が笑ったところがそのまま良かったところということになる。

 つまり良かったところというのは本人たちが意識してやっているところなので敢えて聞く必要はなく、確認する必要もないのだ。逆に「悪いところ」の方が圧倒的に本人たちだけでは気づくのが難しいもの。何故ならネタを書いた本人たちはそれを面白いと思って書いているので、何が面白くないか、もしくはなぜ面白さが伝わらないかがわかりづらい。

 なのでその理想と現実のギャップを埋めるために作家さんなど第三者が加わり、ネタを客観的に見て分析し、悪いところを浮き彫りにするというのがネタ見せをする理由なのだ。なのでもし「どこか良かったところはありますか?」などと質問されたら「え?自分たちの良いところを理解できてないで人を笑わせようとしてるの?」と思ってしまうかもしれない。

 しかし今は個性や多様性を当たり前として受け入れる時代となり、「自分らしさ」を大切にする傾向にある。なので自分では気づかない「自分らしさ」に気づくためにも客観的に教えてもらうという方法を取るのかもしれない。しかし芸人というのは元々個性が強い人間が集まっており、ただ個性が強いだけでは「個性が強い人」というだけで「芸人」にはなれないのだ。その「個性の強さ」を「笑い」に変えて初めて「芸人」となる。なのでいまだにお笑い業界は「自分らしさ」より「芸人らしさ」が重要なのかもしれない。

 「昔はこうだった」を毛嫌いせずに、その中にある「変わらない良いところ」を自分なりに見つけて今の自分に活かしてみよう。もちろんダメな「昔はこうだった」もあるので、そこは現代人らしく取捨選択し、自分だけの温故知新を見つけるべし。

追伸

 ちなみに昔の僕は「昔はこうだった」に対して反発ばかりしていたのだった。これが檜山の「昔はこうだった」でした。

檜山 豊(元お笑いコンビ・ホームチーム)

1996年お笑いコンビ「ホーム・チーム」を結成。NHK『爆笑オンエアバトル』には、ゴールドバトラーに認定された。 また、役者として『人にやさしく』(フジテレビ系)や映画『雨あがる』などに出演。2010年にコンビを解散しその後、 演劇集団「チームギンクラ」を結成。現在は舞台の脚本や番組の企画などのほか、お笑い芸人のネタ見せなども行っている。 また、企業向けセミナーで講師なども務めている。

Twitter:@@hiyama_yutaka

【劇団チーム・ギンクラ】

ひやまゆたか

最終更新:2023/07/27 09:00
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