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コウメ太夫はいかにしてコウメ太夫になったのか なぜかNHKが掘り下げた衝撃の半生

コウメ太夫はいかにしてコウメ太夫になったのか なぜかNHKが掘り下げた衝撃の半生の画像1
コウメ太夫公式Twitter(@dayukoume)より

 異なる分野で活躍する2人の“達人”が登場し、成功への道筋や、独自の哲学を語り合う『SWITCHインタビュー 達人達』(Eテレ)の7月10日放送回に、映画監督の清水崇とコウメ太夫の2人が出演した。

 一体、どういう組み合わせなのか。『呪怨』を監督した清水はジャパニーズホラーの代名詞的存在だが、コウメは何の達人になる? まれに狂った番組を制作するNHKだが、いくら何でも滅茶苦茶だ。

しかし、この座組は清水がコウメを指名して実現したキャスティングらしい。清水はコウメのファンなのだ。あと、2人には“白塗り”という共通点もある。白塗りには白塗りをということ? でも、コウメが相手で語り合えるのか不安。何しろ、当のコウメが不安がっていた。

「ドッキリか2秒くらいの出演と思ってたらガチ出演だったチクショウ!」

コウメ太夫の秘密主義

 まずは誰もいない劇場で、コウメが清水1人だけのために新ネタを披露した。

「うなぎを食べたと思ったら、車の排気ガスでした~、チクショウ!」
「おじやを食べているかと思ったら、おばさんでした~、チクショウ!」
「おでんを作っているかと思ったら、完成したらヘリコプターでした~、チクショウ!」

 相変わらずひどい。そんなわけないチクショウの連続だ。というか、全然新ネタじゃない。うなぎのネタは昨年放送『水曜日のダウンタウン』(TBS系)で確実に見たことがある。でも、いい。Eテレでコウメのネタを見られる日が来るなんて、その事実だけでうれしい。1対1でコウメのネタを鑑賞するなんて、清水監督が羨ましくなってしまう。

 というわけで、ようやく対談がスタートした。しかし、見るからに疑心暗鬼なのだ。ドッキリを疑った顔をし続けるコウメ。でも、清水のほうは聞きたいことが山ほどあるらしい。“コウメガチ勢”の清水は、構わずコウメに質問を投げかけた。まずは、「このキャラクターはどうやって誕生したんですか?」という疑問である。

「『エンタの神様』(日本テレビ系)を見てて、波田陽区さんとかが和風のネタをやっていて、『女形でやってる人がまだいないなあ』と思って。リズム系のネタで、音楽を入れて、ワンフレーズ入れるネタが採用されていると思ったので、『もしかしたら、これは自分がやろうとしていることかもなあ』と勘違いして、このキャラクターをやり始めました」(コウメ太夫)

 意外にしっかりした背景があって驚く。分析の上で成り立つキャラだったのだ。すると、若き日のコウメが『エンタの神様』に出演していたときの映像が流れ始めた。当時の姿を見ると、気付く箇所がたくさんあった。まず、若き日のコウメはおしろいのノリがとてもいい。顔もシュッとしていて、それっぽい。逆に言うと、綺麗すぎるのだ。何か違う。ネタのテンポも速すぎる。当時のコウメが叫んでいたのは以下のフレーズだった。

「窓辺に寄りかかったら、窓がありませんでした~。隣のウチに落ちました、チクショウ!」

 まだちゃんとしており、普通すぎて物足りない。理解できる時点で、まだまだだと思う。キレも今ほどじゃない。人知れず、コウメという存在は進化していたのだ。というか、この人は本当に窓が好きなのだ。

 現在は理解不能なネタしかやらないコウメ。清水監督は「ネタを作るときはどういう風に発想するんですか?」とコウメに質問した。

「昔はよく、吉祥寺の公園で座って水辺見ながら作ってたりとか。どっちかって言うと僕1人で考えますね」
「『エンタ』があるから自分があって、感謝はしてるんですけど、まあ、でもどうだろう? 毎週毎週たしかに新しいネタをやってたからなあ……いいのか、あれはあれで」

『エンタ』批判をおっ始めそうな不穏を漂わせるコウメ。キナ臭い。あと、早くも会話が通じなくなってきている。なぜか、彼は頑なにネタの発想源を答えようとしないのだ。適当なワード(「窓」など)をつなげるだけで、何も考えていないから? いや、そんなことはない。コウメの芸には一定のルールがある。

「他のキャラクター、『連獅子太夫』とか『おじいちゃん太夫』とか『釣り太夫』とか色々考えたんですけど、結局、1回やっちゃもうダメになって、求められるのはこのキャラクター(コウメ太夫)ですよねえ」

 おわかりだろうか? これだけメチャクチャなことをやっておきながら、キャラクターは「太夫」の枠組みから決してはみ出さないのだ。この辺り、何かしらの秘密があるのかもしれない。そういえば、過去に彼は「ジャクソン太夫」というキャラクターも演じていたはずだ。

白塗りは梅澤富美男譲り

 ここから、番組はコウメの半生を振り返り始めた。1972年、東京都杉並区に誕生したコウメ。父は大物芸能プロデューサーの本間昭三郎で、母は元女優で東映ニューフェイス1期生の深見恵子である。紛れもなく、芸能一家のサラブレットだ。

 テレビで見たマイケル・ジャクソンのパフォーマンスに衝撃を受けた小学生時代のコウメは芸能界入りを決意し、歌と踊りの練習に明け暮れるようになる。そんな息子の姿を見た母親は、我が子に劇団入りを勧めた。そして、オーディションを受けるようになるコウメ。すると、ある事務所の社長から「うちでお手伝いしないか?」と声を掛けられた。報酬はなし、タダ働きだ。業務は電話番などから始まり、次第にエスカレート。ついには「女の子をスカウトしてきてくれ」と言われる始末だった。やりがい搾取されていることに気付いたコウメはすぐにその事務所を退所する。「劇団に入れると思ったら、スカウトマンをやらされました~、チクショウ!」という心境だったか?

 その後、コウメは梅澤富美男の大衆劇団に入団。つまり、コウメ太夫誕生前に彼はみっちり基礎を学んでいたのだ。変身時の化粧道具がいやに本格的だと思ったら、梅澤譲りだったのか……。

「昔から親に『お前の顔はどっちかって言うと古臭い、時代劇みたいなのをやったほうがいいんじゃないの?』って言われてたんですけど、僕、そういうの嫌いなんですよね。当時、『和』とか全然興味なくて。あの世界、『お兄さん』とか呼ばないといけないんですよ。1人っ子だからって内心思ってたですけど、でも言わなきゃいけない」(コウメ太夫)

 しきたりが肌に合わず、2年で大衆劇団を脱退したコウメ。その後は売れない芸人時代を過ごし、そして遂にコウメ太夫というキャラクターへ行き着いた。何度も破綻を繰り返しながら、ようやく現在地へ辿り着いていたのだ。なんだかんだ、歌、踊り、白塗りなど芸事をちゃんと生かしているのは偉い。

 あと、コウメといえば手の甲に必要事項を書く“手カンペ”がトレードマークだ。

清水  「カンペって見事に取り入れちゃってますよね、芸の中に」
コウメ 「あまりにも見すぎちゃってて、段々『見なさい』という話になっちゃって。『え? “見なさい”って言ってる』って思って」

 なるほど。「和」といい、リズムネタといい、“手カンペ”といい、周りからの要求に応えているうちに、コウメ太夫はできあがっていたのか。

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