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週刊誌スクープ大賞

自民党・茂木幹事長「吉野家」480円の領収書ほか、週刊誌注目の10記事

小室圭夫妻の“後継人”の窮地

 ところで、最近、時々見かけるようになった小室圭・眞子夫妻の近況だが、いい話もあれば、悪い話もあるようだ。

 今週は悪いお噂を文春から一席。

 小室夫妻には、ニューヨーク周辺で影響力のある人を引き合わせる“後見人”ともいえる人物がいたそうである。

 鶏卵最王手「イセ食品」(現・たまご&カンパニー)の創業者で元会長の伊勢彦信(94)がそれだという。

「しかし、その伊勢氏は今、破産手続き開始に追い込まれているのです」

 と、小室夫妻に近い人物が明かしている。

 富山県のいち養鶏場の跡取りだった伊勢だが、自身が設立した「イセ食品」は、日本全国のみならず海外でも事業を展開しているという。鶏卵業界で米国トップクラスの事業規模になったそうである。

 そんな伊勢と小室夫妻の姿が目撃されたのは、昨年8月のことだった。文春は昨年11月2日号で、小室夫妻がノーベル賞受賞者で、気象学者の真鍋淑郎や、ニューヨークの社交界で最も有名な日本人女性である元ベニハナ・オブ・トーキョーCEOの青木恵子らと会食していったことを報じた。実はこの会食をセットしたのが伊勢だったというのだ。

「伊勢氏は美術品コレクターとして知られています。所有する美術品は『イセコレクション』と呼ばれ、『卵でピカソを買った男』と称されたほど。若手時代の草間彌生を支援するなど、その審美眼は一目置かれている。ポップアートの旗手と呼ばれ、八十七年に死去したアンディ・ウォーホールとも存命中に交流がありました」(伊勢氏周辺)

 また彼は秋篠宮とも親交があるという。

「じつは伊勢氏は秋篠宮さまのご研究に力を貸していたのです。イセ食品が運営していた木更津の研究所が、秋篠宮さまが総裁を務める『山階鳥類研究所』と共同で研究を行っていた。その関係で、秋篠宮さまの研究資料の一部を、イセ食品の木更津の研究所で預かっていました」(同)

 そのため、眞子さんとも面識があるというのである。

「伊勢氏は『琳派』のコレクターとしても知られていますが、眞子さんが一時期インターンをしていたメトロポリタン美術館(MET)の上司で日本美術部門の責任者を務める、ジョン・カーペンター氏も琳派に造詣が深いのです。伊勢氏はカーペンター氏と面識があり、近年も直接面会するなどの交流がある」(同)

 しかし、そんな“パトロン”である伊勢が大変な事態に追い込まれているというのだ。

「二二年三月、イセ食品を含む二社に会社更生法適用の申し立てがなされたのです」(伊勢の知人)

 負債総額は453億円。管財人は「イセコレクションは会社のもの」として、一部の売却に踏み切ったが、伊勢は「債務返済の目処はついており申し立ては不当」「コレクションは個人所有」と主張し、対立姿勢を見せた。伊勢と管財人との対立はしばらく降着状態が続いていたが、今年1月に新たな展開を迎えたというのだ。

 一月十七日に東京地裁は伊勢の破産手続き開始を決定したそうである。

 文春は伊勢を直撃している。

――もうニューヨークに行って小室夫妻と会えなくなる?

「いや、小室さんのお手伝いくらいはいくらでもできますのでね」

 だが、伊勢の知人はこう嘆息する。

「抗告が認められて破産手続きがストップする可能性は極めて低い。伊勢氏もそのことは十分承知しています。今回の破産手続き開始によって、自身の所有だと主張していたコレクションも正式に手放さざるを得なくなる。コレクターとしての影響力が失われれば、カーペンター氏も伊勢氏の言葉に耳を貸さなくなるかもしれない。圭さんに対して仕事を斡旋することもできなくなるでしょうね」

 小室夫妻の動向で不思議なのは、年収が4000万円になったようだが、どこに引っ越したのか、いまだにわからないことだ。

 ニューヨークにいるのか、ワシントンか? 早く見つけておくれ、文春、新潮さん。

 永田町というところは「バカ」と「アホウ」の寄り合い所帯である。中でもこの御仁だ。「麻生太郎副総裁はなぜこんなに偉くなったのか」。新潮のいうとおりである。

 麻生は1940年に福岡県で生まれた。実家は炭鉱で財を成した筑豊御三家の一つ。麻生家の母方の祖父が吉田茂元総理である。

 学習院大学を出た後、実家の事業に参画して、JC(日本青年会議所)の会頭を務め、クレー射撃でオリンピックに出場したこともある。政界進出は39歳の時だから遅かった。

 当選後は、祖父の吉田の一番弟子、池田勇人が創設した「宏池会」に入る。後に結婚したのも、当時の宏池会会長、鈴木善幸元総理の子女だった。

 政治ジャーナリストの泉宏(元時事通信政治部長)がこう話す。

「衆院選での演説の第一声は“下々の皆さん”だったのは有名な話です。僕ら記者に対しても、“俺はよぉ、お前らとは違ってな。朝起きたらすぐにワイシャツを着て、スラックスを穿いて靴を履いて、それでようやく一階に降りるんだ。するとそこには執事が待っていて……”などと言う。“お前らさぁ、金持ちの家に生まれた苦労は知らねえだろ”なんて言うから言い合いになったこともありましたね」

 当時の麻生はメインストリームから外れた変わり者だったのだ。

 その流れが変わったのは小泉政権だった。

「小泉政権後、第一次安倍晋三、福田康夫の両内閣は1年ほどの短命に終わる。かたや野党第一党の民主党が支持率を伸ばし、政権交代の危機にお鉢が回ってきたのが麻生氏。マンガ好きでべらんめえ調といったキャラクターが若者から人気を集めたこともあって、2008年、念願の総理に就任した」(新潮)

 しかし、政策、政局両面での失策から自民党は2009年の総選挙で大敗して政権を失ってしまう。その永久戦犯となったのが麻生だった。

 普通に考えればこれで政治生命は終わる。だが、麻生は生き残った。しかも、放言・失言は枚挙に暇がない。

「(週末期医療費の高騰について)さっさと死ねるようにしてもらうとか、いろんなことを考えないといけない」(2013年)

「(少子高齢化問題で)年をとった奴が悪いみたいなことを言っているが、子どもを産まなかった方が問題だ」(2019年)

「踏襲」をふしゅう。「未曽有」をみぞうゆう、「頻繁」をはんざつと読むなど、中学生レベルの漢字が読めないことが露わになり、嘲笑の的になった。

 なんでこんなものが、キングメーカー? バカいってるんじゃないよ。

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