日刊サイゾー トップ > インタビュー  > デヴィ夫人が仕事を選ばないワケ
ライバルはイモト!?

「タレント」という呼び名が私を変えた~デヴィ夫人がどんなオファーも断らない理由~

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――なんとなく過ごすのではなく、その時その時を真剣にということですか?

デヴィ そう。仕事も遊びも限界を決めない。

――夫人が、これからやってみたいと思う企画はありますか?

デヴィ だんだんすることがなくなってきて(笑)。これから何をしたらいいのかしら……。そもそもあの人たち(テレビスタッフ)は、私が出した提案は絶対採用しないの。南極に行きたいわって言ったら、「1人2,000万かかる」で終わり。地球上で唯一アメリカのイエローストーンにいるアメーバーが見たいって言ってるのに、それもダメ。「NHKの番組になっちゃう」って。イモトさんは結構いろいろなところに行ってるのに。

――やはりギャップが欲しいんじゃないですか……? デヴィ夫人のパブリックイメージとのギャップが。

デヴィ カナダの大森林で、クマがパシーンって鮭を獲るのも見たいし。

――(聞いてない……)

デヴィ そうそう、アマゾンの奥地にすごいブルーの蝶がいっぱいいるんですよ。キラキラ光る玉虫色の。それを獲りに行きたいって言ってるのに「アマゾンは大変です」でおしまい!

――(……)

デヴィ バイカル湖にもプライベートで2回くらい行ってますけど、あの奥にかわいらしいペンギンがいたなんて、その時は知らなかったの。イモトさんは、それを見ているのよ! なんてうらやましい! そういう意味でイモトさんは私のライバルね。

――まさか夫人のライバルがイモトだったとは!!

デヴィ 彼女、私のしたいこと、行きたいところ、全部制覇しちゃってるのよ!

――最後にひとつ教えてください。夫人は、どういう肩書で呼ぶのが正しいのでしょうか?

デヴィ やはり何十年「デヴィ夫人」と呼ばれてきましたから、それが芸名みたいになっていますね。スカルノというのは偉大な名前であり政治的な意味もありますので、あまりテレビに出るときには向かない気がします。外交団のレセプションパーティーや晩さん会などでは「デヴィ・スカルノ夫人」となるわけですが。だから逆に「デヴィ夫人」という名前は、ひとつのスイッチになっているともいえますね。

 思えば、大統領夫人から社交界の華になり、ビジネスウーマンになってまた社交界に戻り、そして今日本にいる。ずっと「大統領夫人」という肩書で生きてきたのに、日本でのテレビ出演が増えるに従って「タレント」と呼ばれるようになりました。私それがすごいショックで。いつの間にか、私はタレントになっちゃったんだって……。それを自分の中で消化したときに、オファーされた仕事はなんでも受けようと心に決めたんです。そこで殻を脱いだのね。「大統領夫人」という立場も「東洋の真珠」と呼ばれた過去も。ただ余生は思い切り楽しんで生きようと決心しました。それまでは日本に帰るなんて頭の片隅にもなかったんです。私は日本を追い出されたと思っていますし、日本のマスコミとの40年にわたる戦いもありました。彼らに叩かれて叩かれて、抹殺されんばかりでしたから。私の間違った既成概念を作ったのは日本のマスコミです。

――そのかたくなな気持ちを変えたのが、「タレント」という呼び名だったと。

デヴィ 私の中で「革命」でした。あぁ、それならそうやって生きてやると。プロのタレントとしてね。今まで世界中の王侯貴族とお付き合いしたり、スーパーセレブの方たちと世界の素晴らしい舞台に立ってきましたが、もうそういうことに未練はありません。今は、日本が私にとって最後の場所になるんだと思っています。これからは今まで私が得た幸せを、いろんな形で世の中に還元していけばいい。それは動物愛護やチャリティーね。皆さん意外とご存じないですけど、私テレビの仕事と同じくらいチャリティー活動をしているんですよ。これは最後に、ぜひ書いておいてくださいね。
(取材・文=西澤千央)

●ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ
1940年生まれ。59年、インドネシアの初代大統領スカルノと結婚。日イ友好協会名誉会長に就任し、両国の文化交流、親善に努める。スカルノ政権崩壊後、パリに亡命した後は社交界で活躍。“東洋の真珠”と賛美され続けている。現在は、ボランティアに注力して、野生動物や熱帯雨林の保護、先住民の権利保護など、さまざまな環境保護活動を行っている。
公式ブログ <http://ameblo.jp/dewisukarno/>

最終更新:2013/10/09 12:21
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