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明智光秀「敵は本能寺にあり!」とは言っていない?『麒麟がくる』は織田信長の死に残された謎をどう描くか

大河ドラマ『麒麟がくる』(NHK)が、ますます盛り上がりを見せている。ドラマをより深く楽しむため、歴史エッセイストの堀江宏樹氏が劇中では描ききれない歴史の裏側を紐解く──。前回はコチラ

明智光秀「敵は本能寺にあり!」とは言っていない?『麒麟がくる』は織田信長の死に残された謎をどう描くかの画像1
『麒麟がくる』

 明智光秀本人は「本能寺の変」に参加しなかったという記事が、お正月に話題になりました。

「『光秀ハ鳥羽ニ』、最期の言葉も 本能寺の変に新情報」(1月3日 朝日新聞デジタル)

「変」の現場に光秀の代わりにいたのは、大河ドラマ『麒麟がくる』では間宮祥太朗さん演じる明智左馬助こと明智弥平次では? という指摘ですが、『麒麟~』の最終回を見据えたこの時期には面白いお話でした。

 情報ソースは『乙夜之書物』(いつやのかきもの)という、江戸初期成立の史料です。この史料の位置づけについては後ほど語るとして、明智本人が「本能寺の変」のその場にいなかったという可能性は確かに「アリ」と言えるのでした。

 そもそも光秀本人が、その場にいたと明確に記述した、信頼できる史料は存在していないのです。

 明智光秀とも交流があった吉田兼見(よしだかねみ)という、公家で神道家の日記には「(六月)二日(略)、日向守(=明智光秀)、信長之御屋敷本應寺(=本能寺)へ取懸、即時信長生害」と記載されています。つまり「6月2日、明智光秀が信長の滞在先である本能寺を攻め、信長を殺害」などと書かれているだけで、詳細は明かされていません。この簡潔すぎる記述をもとに、“きっと明智自身が本能寺を攻めたのであろう”と、後世の我々が“推論しているだけ”なんですね。

 ですから、彼が本能寺に赴かなかった可能性は「アリ」だと言えるのです。

 それでも「明智が本能寺の変の現場にいたはず」などと我々が考えてしまうのは、明智の「敵は本能寺にあり」という“名ゼリフ”に引きずられているからでしょう。

 しかし、これも実は“ウソ名言”。明智本人の発言では100%ありえない“創作”なんですね。これは江戸時代の漢学者・頼山陽(らいさんよう)のいわば「歴史小説」が初出の、まさに“名ゼリフ”なのでした。

 それでも歴代の大河ドラマなどの映像作品では、織田信長に命じられるがまま、軍隊を率いて(毛利輝元と交戦中の)秀吉のもとに援軍に向かおうとしていた明智光秀が突然、

 「敵は本能寺にあり!」

 とおなじみのセリフを叫び、軍隊と共に、信長が宿所にしていた京都・本能寺になだれ込む……というシーンが登場しがちです。この場面がないと歴史ドラマとして盛り上がらないからでしょう。織田信長という“大スター”の死の現場に、反逆者である明智光秀本人がいないというのはドラマ視聴者の立場から考えても、確かにつまらないですよね(笑)。

 さて……今回、存在をクローズアップされた『乙夜之書物』などに見られる光秀不在説を「新説!」とまで言えるかについては、「疑問」というのが筆者の見解です。

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