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『ヤクザと家族』監修者・沖田臥竜が見た『すばらしき世界』とスーパー脇役・北村有起哉の凄み

ヤクザが排除されるのは誰のせいなのか?

 「刑務所は社会の縮図」といわれることがある。この作品のエンドロールにもクレジットされていた某識者も好んで使う言葉なのだが、実際はそうではないと思う。

 刑務所と実社会は全くの別世界で、だからこそ出所した元受刑者は、刑務所で身についたアカや文化を落とし切るまで、悩み苦しみ、葛藤を抱えるのである。そもそも、刑務所は前科者の集まりだが、実社会では前科者が排除されがちである。元ヤクザなんてレッテルが貼られていたら、なおさらだ。そして、それに耐えきれず再び犯罪に手を染めてしまい、また収監されてしまうケースは統計的に見ても少なくない。

 そんな状況が生まれるのは、誰が悪いからなのか。出所者を受け入れ、更生する環境を整えていない社会か。それとも更生に向けたプログラムを構築できていない刑務所か。すべては否である。

 どこまでいっても、悪いのは本人なのだ。

 反社会的勢力と呼ばれ、生き場所を失った現役のヤクザも、暴力団排除条例の施行により、いわゆる“5年ルール”の縛りを受け、法律的にも一般人と同じ扱いをされない元組員も、悪いのは社会でも世の中でも環境でもなく、本人なのだ。実際、自分自身にそうやって言い聞かせていかないと、やり切れないではないか。

 他人のせいにしても、世の中のせいにしても、そこに解決などはない。だったらせめて、自分のせいだと受け止めて、自分の力未来を変えていかなければならない。

 もう一度言う。そうでもしないとやりきれないではないか……。

 小さな頃から親の言うことを聞かず、学校の規則にも背き、好きなように生きてきた人間が、遊びたいのにそれを我慢し、組織や社会のルールを遵守し、真面目に生活してきた人たちと同等の環境を易々と手にさせてもらえるかといえば、それは理屈として通らないだろう。

 今まで好き勝手に生きてきたのなら生きてきただけ、社会を形作る多くの人々以上に、我慢や辛抱、そして努力をしなければ、社会には受け入れてもらえないし、人生をやり直すことはできない。それが世の仕組みなのである。ただ、努力は誰でも平等に、いつからでもできるし、その努力の結果は、他人や世間にではなく、努力した本人に返ってくるのだ。

 歳をとればとるほど、通り過ぎていった時間に想いを馳せ、若い時のように刹那的な考えで物事を見ることができなくなってしまう。そこに気づかされることなく、仮に命を全うすることができたのなら、それはそれで短くとも幸せだったといえるかもしれない。

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