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【短期集中連載】音楽ライターが検証する『大豆田とわ子と三人の元夫』のED評最終回

『大豆田』最終回のED曲、T-Pablowのリリックでより深くわかるラストシーンの意味「型にハマらずとも幸せであり続ける」

ドラマそのものが、ラップ的な構造に?

 しかし、それを嘆くファンは皆無だ。なぜだろうか。ここで『まめ夫』の世界へ目を向けてほしい。超都心のハイセンスな場所ばかりが登場し、主人公は貧しさとは無縁のような生活を送る会社経営者。これだけでは感情移入は難しい。そこで彼女は自身を誇張せず、優柔不断といえるほど周囲にも優しく、ジャージでも平気で行動できる庶民的な性格の持ち主。だからこそ、とわ子が経験する苦難にも共感できる。

 そしてそんな彼女がさまざまな男性と出会い、4度目の結婚を意識するも、彼女なりの考えがあってひとりで生きていく決意を静かに固める。

 同作品の、人の幸せをステレオタイプな尺度で測ろうとしないストーリーの魅力をT-Pablowは理解し、テーマ性を表現している。最後の「他人と比べる事/よりも隣いる人」は、結婚や両思いなど型にハマらずとも、4人が幸せであり続けるラストシーンを踏まえた言葉だ。

 以上、「Presence」シリーズを分析・考察してきたが、ひとつ思うことがある。このドラマの構成は、ラップに非常に似ているのだ。

 まず、ドラマの展開が非常に早い点。それは単純に文字数が多い分、情報量が多いラップと似通う。

 そして、劇中の網戸・ラジオ体操・パスタなどメタファーとして過去に登場したアイテムに再びスポットが向けられる演出は、どことなくサンプリングを彷彿させる。予期せぬ展開ばかりが起きるのも、突如ビートが切り替わるダイナミックな展開のようだ。

 そして、考察の予知を十分に与えられている点も、しっかりと味わえる詩でもあるラップに似ている。そうしたラップとの類似性は恣意的なものだったのか、もしくは意図的だったのか。

 いずれにしても、民放のドラマでラップがひとつの幸せの姿として、とても輝いてみえた。

斎井直史(ライター)

音楽ライター。主な執筆の場はOTOTOYでの『パンチライン・オブ・ザ・マンス』の連載。その傍ら年に数回、他媒体での寄稿を行う。

Twitter:@nofm311

さいいなおふみ

最終更新:2021/06/23 20:00
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