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あのアーティストの知られざる魅力を探る TOMCの<ALT View>#13

中森明菜 異端の名盤『不思議』と「明菜流ニューウェイヴ」を生んだ自己プロデュース力

 ビート&アンビエント・プロデューサー/プレイリスターのTOMCさんが音楽家ならではの観点から、アーティストの知られざる魅力を読み解き、名作を深堀りしていく本連載〈ALT View〉。今回は5月1日にデビュー40周年を迎える中森明菜の音楽的な魅力について、1986年に発表された“問題作”『不思議』を切り口に語っていただきます。

中森明菜 異端の名盤『不思議』と「明菜流ニューウェイヴ」を生んだ自己プロデュース力の画像1
中森明菜

「偉大さ」と「先入観」のはざまで

 いきなりだが、中森明菜のこの曲をご存知だろうか。そして、もしこの曲を事前情報なしに聴いて、彼女の楽曲だと気づく人はどれだけいるだろうか。

 本曲「Eyes on you」は2002年のアルバム『Resonancia』の2曲目に収録されている。1990年代から現代にいたるまで、日本国内のみならず、K-POP作品を手がけるなどアジア圏で広く活躍しているソングライター/プロデューサー・URUのペンによる楽曲である(※女性歌手のUruとは別人)。しかもコーラスを務めるのは当時スターダムを駆け上がっていた平井堅。この時期のJ-R&B特有のスタイリッシュな薫りに満ちた名曲だ。

 あるとき偶然本曲に出会った私は、1990年代以降の彼女の活動に強い興味を抱くとともに、彼女のキャリアがしばしば「芸能界」や「チャート成績」の印象を中心に語られがちである状況を非常に残念に思った。彼女と芸能界を巡る関係は西崎伸彦「消えた歌姫とバブルの時代」(「文藝春秋」2021年9~12月号掲載/文藝春秋社)に詳しいが、このタイトルが象徴するように、彼女のパブリックイメージは、テレビを中心とするマスメディアが覇権を握っていた「1980年代」の姿や作品に縛り付けられている部分が大きいように思える。しかし、だからこそ、縦・横の人間関係やステークホルダーのさまざまな意向に縛られがちな芸能界において、中森がセルフプロデュースを推し進め、その芸能界の中心地から「アーティスト」として花開いていった革命的な側面は決して無視できるものではない。そしてこの「偉大さ」がかえって、彼女の音楽作品をフラットに語ることをこれまで困難にしてきたように思う。

 今回は前編として、彼女が芸能界において獲得したセルフプロデュース体制と、そこから生まれた彼女流「ニューウェイヴ路線」のサウンドにフォーカスしていきたい。

セルフプロデュースの出発点と、同時代の音楽家たちとの邂逅

 中森明菜は従来のアイドルの枠を超えた“アーティスト”であった――という言説は、1980年代の時点で既に存在していた。1989年の年末に刊行された松澤正博『超少女伝説 中森明菜と聖子・百恵』(青弓社)では、シングル「北ウイング」(‘84年1月)がその契機として位置付けられている。

 本曲の作曲者は、昨今世界的に注目を集めた松原みき「真夜中のドア~Stay With Me」(‘79年11月)をはじめ、シティポップの名曲を数多く手がけた林哲司によるものである。そして、彼への発注は、杉山清貴&オメガトライブのデビュー曲「SUMMER SUSPICION」(‘83年4月)をたまたま耳にした中森自身が希望したものだという。まさに、彼女のセルフプロデュース路線の出発点といえる楽曲だ。

 その後の彼女の作品では、次作「サザン・ウインド」(‘84年4月)を玉置浩二が作曲したのをはじめ、第一線で活躍するさまざまな領域のソングライターの起用が慣例化していく。この流れがアルバムでも本格化したのが『BITTER AND SWEET』(‘85年4月)であり、EPOや角松敏生、吉田美奈子、飛鳥涼(現・ASKA)などコンテンポラリーなポップ・ミュージック方面の作家のほか、フュージョン界からも松岡直也、神保彰がソングライターに名を連ねる。この傾向は、4カ月に発表された次作『D404ME』(‘85年8月)で大貫妙子、忌野清志郎、タケカワユキヒデらを起用したように、さらに加速していった。

「大人の女性像」への脱皮と「エキゾチック路線」

 この時期に、中森の「キャラクター性」にも変化が訪れる。ブレイクのきっかけとなった「少女A」(‘82年7月)を契機とする「ツッパリ・不良・ヤンキー」的な路線の詞世界を、「十戒(1984)」(‘84年7月)を最後に封印したのだ。「十戒(1984)」の次作に当たる、井上陽水が手がけた「飾りじゃないのよ涙は」(‘84年11月)は、彼女のイメージの転換を象徴する楽曲である。肩パッド入りのスーツを身にまとい、「社会(男社会)に媚びない力強さと繊細さが同居する大人の女性像」を提示した本曲を、特にシンガー/パフォーマーとしての観点から“アーティスト路線”の始まりとする声は根強く、彼女を一段上のステージへと押し上げた感がある。もともと「少女A」の世界観は中森自身が当時強い拒否感を覚え、プロデューサーとは録音に際して大いに揉めた……という曰く付きのものだったが、中森はそれを自らの力で鮮やかに更新していった。

 その後、シングルでは前述の「サザン・ウインド」でも垣間見せた「エキゾチック路線」を本格化させていく。松岡直也の作曲によるラテン・フュージョンタッチの「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」(‘85年3月)は第27回日本レコード大賞を受賞し、中森の新たなパブリックイメージを確立した作品となった。「SAND BEIGE -砂漠へ-」(‘85年6月)はタイトルにフランス語、サビの歌詞にはアラビア語を織り交ぜた内容。特定の国を想起させることなく、架空の異国情緒を薫らせた作風は、前述の「大人の女性像」と掛け合わさることで、中森のミステリアスなイメージの加速に貢献したように思える。

 中森はデビュー以来、衣装やメイク、振り付けに積極的に関与していたが、上記の時期以降、楽曲の世界観を表すためのコミットを一層強め、まさしく全方位的にクリエイティヴ面に関与する“アーティスト”的な存在へと歩みを進めていく。その世間的な注目度の頂点のひとつは、シングル「DESIRE -情熱-」(‘86年2月)をひっさげたテレビ出演における、「和装の洋風アレンジ×ボブカットヘア」の装いとダイナミックなステージアクションの組み合わせかと思われるが、サウンド面ではさらに独創的な領域へと踏み込んでいく。

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