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なぜ駄菓子屋にゲーム機があった? 

「不良の溜まり場」とも蔑まれた“ゲーセン”の知られざる歴史

「不良の溜まり場」とも蔑まれたゲーセンの知られざる歴史の画像1
写真/Getty Images

 90年代から2000年代にかけての格闘ゲーム全盛期に比べると、ゲームセンターは「衰退した」としばしば言われる。だが、全国各地のショッピングモールにはいまだ必ずと言っていいほどゲームコーナーがあり、親子連れや若者で賑わっている。

 70年代から80年代にかけては「不良の溜まり場」と否定的に語られ、違法賭博問題と紐付けて議論されていたが、そうした時代に比べれば今は社会的に受け入れられ、しっかりと根づいている。

 しかし、ゲーセンはいかにして今のような形に行き着いたのか。かつて喫茶店や駄菓子屋にまでゲーム筐体があったのはなぜだったのか。『日本の「ゲームセンター」史 娯楽施設としての変遷と社会的位置づけ』(福村出版)を著した川﨑寧生氏(立命館大学ゲーム研究センター客員研究員)に訊いた。

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川﨑寧生著『日本の「ゲームセンター」史 娯楽施設としての変遷と社会的位置づけ』(福村出版)

屋上遊園地から始まり、違法賭博と誤解されるまで

――川﨑さんはゲームセンター史の見取り図として「1930~60年代が黎明期」「70年代が全国的な市場展開のはじまり」「80年代に産業急拡大による軋みと変容」「90年代に格ゲーなどが登場して店舗空間が変化」「2000年代~現在」と大枠を本の中で提示されていますが、そんなに昔から今のゲームセンターにつながるものがあったんですね。

川﨑 そうですね、例えばナムコ(現バンダイナムコ)はもともと屋上遊園地事業から始まっており、そこからゲーム、ゲームセンター産業につながっていったことはゲームセンター史においては通説となっています。赤木真澄さんの『それは「ポン」から始まった アーケードTVゲームの成り立ち』(アミューズメント通信社)という本に詳しく書かれていますが、日本のアミューズメント産業の開拓者のひとりである遠藤嘉一さんが1931年に浅草松屋に開設した屋上遊園地「スポーツランド」が先駆けと言われています。

――アメリカのGAME ARCADEは衰退していったのに対して、日本のゲームセンターは今も社会に根づいてあちこちにあることから、GAME ARCADEとの比較をされていますよね。どういうところが日米で違うのでしょうか。

川﨑 先行研究においては、アメリカでは主に若い男性が立って遊ぶゲームが多いGAME ARCADEと、親子連れ向けのアミューズメントパーク、ファミリーエンターテインメントセンターはまったくの別物として扱われていました。でも、日本では屋上遊園地に始まり、専業のゲームセンターもあれば、モールの一角のゲームコーナーもあるなど業態が多様です。想定客層もある程度万人向けで、親子連れも若者も入れるように作られているし、座って遊ぶゲームが多い。そもそも客層が違い、社会における視線も違います。

――なぜその違いが生まれるのか、どうして日本ではそうなったのかについて、川﨑さんは「社会統制」という視点から論じていますが、社会統制とは?

川﨑 社会統制という概念は学術的に定義がありますが、今回の本ではやや狭い意味で「社会が新しく現れてきたもの、折り合いがつきづらいものに対してかける統制」のうち、法規制を中心に考えています。日本のゲームセンターは、70年代中頃に社会問題化したスロットやメダルゲームを使った民営の違法賭博と重ねられて――本当はゲームセンター側は関係なかったのですが、見た目では普通のメダルゲーム機などと賭博用の違法改造機との区別がつきづらかったこともあり――問題視され、また、70年代後半から80年代には不良の溜まり場として社会的に議論になってきました。

 実は、賭博が合法である国では特に、賭博機器と硬貨投入型の娯楽機器は同じようなものとして見られやすいんですね。例えばドイツでゲームセンターにあたるSpielhalleは、実際は賭博機器を合法に遊べる場所です。これが先にあったため、硬貨を投入するアーケードゲームも賭博機器なのではと疑われました。また、青少年保護の観点からも厳しく非難され、結果的にほとんどのアーケードゲームは大人しか入れない場所に紐づけられ、子どもたちが家の外で触れることはできなくなりました。

 一方、日本では民営の賭博自体が非合法であり、厳しく規制されます。そのため、「娯楽機器は娯楽機器であって、ゲームセンターはカジノなどとは違います」と業界団体、産業側が初期から世間や政治に対してアピールせざるを得なかった。出発点が親子連れ向けの屋上遊園地だったからこそ、「賭博とは一緒にはできない」し、「いろんな人向けの場所にする」ということもあったのだと思います。そして、それが日本の社会に残っていく上で大事でした。

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