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日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 前田日明と「リングス」の曳航(3)
リングス旗揚げ30周年記念 短期集中連載『天涯の標』

【格闘王・前田日明と「リングス」の曳航 Vol.3】群雄割拠の中、“最強の格闘技”を目指して

写真=尾藤能暢

【「天涯の標」Vol.1はこちら】
【「天涯の標」Vol.2はこちら】

世界中にネットワークを張り巡らせ、さまざまな経歴と背景を持つ格闘技者をプロフェッショナルとして統一ルールの下で闘わせる。「リングス」の実験は次第にファンの支持を得て、国内外の有力選手たちにも共感を持って迎えられた。移行期にはつきものの混乱と混沌の中、1993年に開催された「後楽園実験リーグROUND1」でリングスは新たな領域に踏み込んだ。同年に発足したK-1やパンクラス、UFCに先駆けた試みは格闘技史に今も刻まれている。一方、興行の一枚看板・前田日明は深刻な怪我を負っていた――。

技術と精神

 〈所属選手を見るだけじゃなくて、事務所も見なきゃいけない。そのころは新人選手もいたんで、彼らの練習も見てやらなきゃいけなかった。休む間がなかったんです。いっぱいいっぱいでした。あと、選手のギャラの交渉、出場の交渉、ビザが取れた取れないっていう話、資金調達、切符が売れた売れないだとか。海外で興行するときには、移動や滞在の手配。ありとあらゆるものに首を突っ込まないといけませんでした。てんてこまいだった。

 ほとんど寝てない日が続いて。で、道場で若手の相手をしているときに、膝をやっちゃったんです。

 前十字靭帯の再建手術をすると、復帰するのに9カ月はかかります。で、復帰後は狙われる。

 復帰から半年後、ピーター・ウラ(リングス・オランダ)と闘いました。左脚の前十字靭帯を切って手術して戻ってきたところなのに、今度は右脚の後十字靭帯が切れた。みんなやっぱり膝を狙ってくるんで(微笑)。だから、俺は左膝を4回手術してます。左が4回、右が2回。両肘は2回ずつ手術しましたね。〉

 手塚治虫のマンガ『どろろ』の主人公・百鬼丸は生まれながらに妖怪たちに体の48カ所を奪われた少年。足りない箇所は義体で補っている。妖怪を倒すと、体の一部を取り戻せる。

 前田日明はリングスで理想の闘いに近づいた。だが、その歩みの中で故障が増え、満身創痍となっていく。百鬼丸とは正反対だ。

 それでも前田はリングに上がり続けた。絶対的なエース、図抜けた動員力を誇る選手としての責任ゆえにだ。

 いまだ見ぬ総合格闘技。競技として洗練し、職業として確立しなければならない。選手の生活を保証し、技術向上も探求。さらには攻防が理解できるようファンの見る目も養っていく。課題は常に山積だった。

 移行期に混乱はつきものだ。行く手に何が待ち構えているのかわからぬまま、走りながら考えるしかない。このころの前田とリングスはドイツの哲学者カール・ヤスパースの至言を体現していた。

〈自分がどこへ行こうとするのか知らない人が、最も遠くまで行くことができる〉

 酷な言い方だが、リングを統括する者として「メインイベンター・前田日明」に納得できないこともあったかもしれない。

〈リングスでは「仕方がないこと」がいっぱいありました。現役で試合をしないといけないんで、全選手の試合の管理をちゃんとできなかった。外国人同士で試合を組むと、当人同士で話をして、勝手に勝ち負けを決めたり。中にはそういうこともありました。見るからにやる気があるんだか、ないんだかわからない奴もいた。ギャラはきっちりもらって帰る。そのために時間を過ごすだけ。そんな試合をやってい奴もいました。……それはもう、いろいろありましたね。〉

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