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日刊サイゾー トップ > エンタメ > ドラマ  > 『インフォーマ』尼崎を舞台に物語を作る意味

『インフォーマ』という「仕事場」が出来上がるまでの20数年

『インフォーマ』(C)カンテレ

地上波ドラマのスケールを越えていると視聴者を唸らせ続けている『インフォーマ』もまもなく中盤戦に突入。小説、ドラマ、コミック、さらにNetflixによる世界配信と、今後も話題に事欠かず、さらに多くの人がこの作品にかかわっていくことになる。まさに『インフォーマ』が、そんな人々にとってのひとつの「仕事場」となり、新たな価値を創出していくのだ。
そんな中で、20数年前から、この場所に行き着くことを思い描いてきたというのが、原作者の沖田臥竜氏。同氏による『インフォーマ』をより楽しむための恒例エッセイ、今回は、インフォーマという仕事場を作り上げるまでを振り返る――。

諦めずに書き続けることができた原動力

 たぶんだが、私の今立っている場所は、20数年前からずっと思い描いていた場所だと思う。

 浅田次郎の『鉄道員(ぽっぽや)』を読み、小説家になろうと考えた25歳。そこからは、それはそれは果てしない道のりであった。諦めるのは簡単だった。諦める材料しかなかった。でも、ずっと脳裏で思い描いていたシーンがあった。私の書いた小説が映像化され、それを観た人たちが感動したり、わくわくしたりする表情を見せている様子だ。それだけが唯一の私の原動力だった。

 小説を書き続けていくうちに、何度も何度も壁にぶつかった。いや違うな。壁しかなかった。世に出るための人脈もなければ、方法も知らなかった。それでも書き続けてきたのである。書く、読む、写すという作業を何年も何年も続けていくうちに、少しずつだけど、他の作家の文章を読む力がついてきていることに気づかされていった。

 「あれ…これやったら、オレのほうがおもしろいな…」

 書くにあたって、私には師もいない。すべて独学である。作家として世に出てくるための道のりも、すべて自分で開拓してきた。そして、今思うことは、書き続けたからこそ、『インフォーマ』というひとつの仕事場を作ることができたということだ。

 どこかで私が諦めていれば、『インフォーマ』という仕事場も、この作品にまつわる思い出も作ることはできなかった。2022年の夏、今作にかかわったみんなが、他の仕事をしていたはずだ。私もそうだ。書いたからこそ、事を起こし続けることを諦めなかったからこそ、みんなと共に作品を生み出す場所が生まれて、今こうして、世の中の人たちに観てもらっている。

 満足なんてまったくないが、25歳のときからずっと描いていた場所は、今、私が立っている場所だろう。

 尼崎という街は、特段ガラの悪い街でも、かといって、特別栄えている場所でもない。平凡な街だ。そんな平凡な街で私は小中学生時代を過ごし、大人になってからも暮らしていた。ドラマ『ムショぼけ』の撮影は、そんな私の足跡を私自身が辿り、実際に使われたロケ地の至る所に思い出が散りばめられていた。その作品が出来上がったとき、胸が締め付けられるような感傷まではなかったが、手ごたえがあった。悪ガキだったあの頃から、ここまで来たのかという確かな手ごたえがあった。

 そして、迎えたのが、インフォーマ。現在、カンテレで放送され、Netflixで先行配信されているドラマ『インフォーマ』だ。『ムショぼけ』がほぼ尼崎の撮影だったので、尼崎から飛び立って行きたいという思いが強くて、みんなが私の要望に応えてくれた。確かに生きて行く上でお金は必要だ。だから、わたしの経済事情にまともに直結する小説『インフォーマ』もバカ売れしてくれないかと考えている。

 だが、それがすべてかというと、そうではない。それをも超越する思いというのが作品作りにはあって、それを体感できるのが、文芸であり、映像化としてドラマや映画だ。

 世の中には、お金で買えないものというのが確かにあって、時間なんてその象徴ともいえるだろう。どれだけの大富豪がお金を積んでも、時間を遡ることはできない。作品作りもそうだ。例えば、私に大金をやるから大ヒット作を書いてみろと言われても、それは書いてみないとわからない。逆に作る、書くと決めた以上は、まずは金銭的なことを考えずに、物語を生み出すことに情熱を燃やすのだ。その想いは25歳のときと何も変わらない。

 あの頃、いくら書いても金銭的なことに直結しないことは、当時のバカな私でも理解できた。だが、今と変わらない情熱で、ペンを走らせ続けていた。

 原稿を書く力は変わっただろうが、情熱は今と何も変わらない。経済的な損得で考えれば、作品作りなんてものはできないだろう。芥川龍之介すら、生前、貧乏しているのだぞ。漠然とした先行きへの不安だって抱えていたのだ。物語を作るとはそういうことなのだ。

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