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歴史エッセイスト・堀江宏樹の「大河ドラマ」勝手に放送講義

『どうする家康』の忍者の描き方は「ファンタジー時代劇」路線? 瀬名の今後は…

──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ

※劇中では主人公の名前はまだ「松平元康」ですが、本稿では「徳川家康」に統一しております。家康に限らず、本連載において、ドラマの登場人物の呼び方は、原則として読者にとってなじみの強い名称に統一します

 

『どうする家康』の忍者の描き方は「ファンタジー時代劇」路線? 瀬名の今後は…の画像1
女大鼠(松本まりか)と服部半蔵(山田孝之) | ドラマ公式サイトより

 『どうする家康』第5回は、「家康が今川氏真に捕らわれた正室の瀬名と子どもたちを取り戻そうとした」という大筋以外、ほぼすべてが創作のいわゆる「ファンタジー時代劇」で、かなり驚かされました。脚本もさることながら、忍者まわりの描き方を筆頭に演出のクセも強いドラマだという声が筆者の周辺で上がり始めています。「大河ドラマ」はフィクションではあるが、あくまで史実をベースとした「歴史ドラマ」であって、時代考証無視のチョンマゲ・エンタテインメントの「時代劇」ではない、というこれまで我々が抱いていた常識は、本作『どうする家康』で覆されてしまったようです。確かに良くも悪くも話題性に富んだ内容ではあると思います。筆者の記憶ですが、月曜日になってもTwitterのトレンドに『どうする家康』がランクインしていました。それが作品としての本当の意味での“成功”につながるのかどうかは、今後の展開次第といえるでしょうが……。

 第4回までは信長(岡田准一さん)と家康(松本潤さん)の関係がBLっぽいと腐女子界隈がざわめいたようですが、第5回の見どころは、往年の時代劇を彷彿とさせる「ニンジャ」たちの登場でした。伊賀の忍びたち「服部党」の集合までのシーンについては『ライオンキング』みたいだと指摘する声もあったようです。さらに次回からは、服部党を率いていた「大鼠」(千葉哲也さん)の死去に伴い、その娘が「女大鼠」(松本まりかさん)として活躍するようです。「女大鼠」は「父を継いで忍者集団を束ねる。体が柔らかいことを生かし、どんな場所にも忍び込み、町娘から遊女、武士までどんな人物も演じきる変装の達人」というキャラクターだそうで、昭和の時代劇でセクシー担当だった女忍者「くのいち」が、令和の世の「大河ドラマ」で華麗なる復活を遂げることは確実と見てよいでしょう。

 個人的にはこういうノリは、史実がわりと細かい部分まで判明している徳川家康でやるより、『おんな城主 直虎』のような作品で大胆にやってほしかったとは思いますが。次回も忍者がすごい高さまで飛んだり跳ねたりするアクションシーンがあるのなら、もうちょっとワイヤーアクション(?)の精度が上がっているとよいですね。第5回は「あまりの安っぽさに思わずのけぞった」という声もあったほど、チープでしたから……。

 そういうわけで、『どうする家康』が「歴史ドラマ」ではなく、エンタメ性重視の「時代劇」を目指しているのなら、あれこれ史実との違いを指摘するのは無粋になってしまいますが、歴史エッセイストとして、今回も少し情報を補足させていただきます。

 「忍者」が「にんじゃ」と呼ばれるようになったのは昭和30年代のことで、それ以前は「しのびのもの」と呼びました。「服部党」も夜討ちのときだけ黒装束という設定になっていましたが、史実では忍びの者たちが通称「忍者服」と呼ばれる黒尽くめの装束をまとうことはなかったとされます。

 黒装束が忍者と結び付けられたのは、18世紀中盤あたりの歌舞伎や人形浄瑠璃の舞台の演出が源流であろうといわれていますね。舞台において黒=見えない色(=見えないもの)という「お約束」があるからでしょう。次回の上ノ郷城攻めでも黒装束の服部党が大活躍するのは確実だと思われますが、こういう歴史マメ知識は頭の片隅にでも入れて置いてください。

 前回のコラムでは、上ノ郷城攻めで協力したのは服部党(伊賀の忍び)ではなく、「(家康公が)甲賀二十一家の者どもに御頼み(『甲賀古士訴願状』)」して、わざわざ呼び寄せた甲賀の忍びたちだった、というお話をしました。

 それでは「服部党」こと、伊賀の忍びたちが上ノ郷城攻めに関与するというドラマのストーリーは実際にはなかったのか?というと、江戸時代後期に編纂された『寛政重修諸家譜』という書物の「服部半蔵正成」の項目に、「三河国西郡宇土城(=上ノ郷城の別名)夜討の時、正成十六歳にして伊賀の忍びのもの六七十人を率ゐて城内に忍び入、戦功をはげます」という記述があります。

 しかしこの史料、「正成十六歳」と記されている点が問題で、彼の享年から逆算すると、服部半蔵(正成)が16歳だったのは弘治3年(1557年)頃になるはずで、上ノ郷城攻めのあった永禄5年(1562年)とズレが生まれます。この弘治3年は家康が瀬名と結婚した年にあたり、大きな戦があったことすら確認できません。つまり、別の戦と混同された可能性も低そうなのです。

 それでも『寛政重修諸家譜』において、「十六歳」の服部半蔵が忍者たちのリーダーとして「上ノ郷城攻めに参加した」として記されていることは注目に値する部分です。これはおそらく、半蔵が江戸時代に、忍びのリーダーとしてネームバリューと人気が上昇したことが影響していると思われます。後世に出た人気と評価が史実を侵食していった興味深い一例でしょう。(1/2 P2はこちら

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