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気鋭の若手批評家・小峰ひずみが描く「被差別部落をめぐる“語り”」

被差別部落は本当に「コワイ」のか?…映画『私のはなし 部落のはなし』レビュー

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1922(大正11)年に、全国水平社創立大会で採択された「水平社宣言」。「人の世に熱あれ、人間に光あれ」で知られる。【(C)『私のはなし 部落のはなし』製作委員会】

 日本に残る「部落差別」を題材にした長編ドキュメンタリー映画『 私のはなし 部落のはなし』が、東京都北区田端のミニシアター「CINEMA Chupki TABATA」(シネマ・チュプキ・タバタ)にてアンコール上映中だ。

 2022年5月に公開された同作は、いわゆる被差別部落に生きる “現代の普通の人々”を淡々と描く一方で、 近代の被差別部落史に詳しい歴史学者、そして“ 差別する側の人々”の生々しい声にも焦点を当て、公開当時、 大きな話題を呼んだ。

 本稿では、『平成転向論~SEALDs 鷲田清一谷川雁~』(講談社)などの著作がある気鋭の批評家・小峰ひずみ が、この“問題作”に斬り込む。映画『私のはなし部落のはなし』が描いてみせた、現代における差別と反差別のただ なかに渦巻く“暴力”とは? その正体に、若き批評家が挑む!

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「あなたは暴力を肯定するのですか?」

 白人が、ある黒人にカメラを向けている【註1】。前者はスウェーデン国営放送局のスタッフたち、後者はアメリカの黒人解放運動家のアンジェラ・デイヴィス【註2】だ。インタビュアーはデイヴィスにこう問うた。「あなたは暴力を肯定するのですか?」、と。すると、デイヴィスは目に涙を浮かべながら激怒し、自分が住んでいた地域は白人至上主義者に襲撃され、死者さえ出たと語った。語り始める前、彼女はこう言っていた。

「あなたはそんなことを言うためにここに来たの?」

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【註1】映画『ブラック・パワーミックステープ アメリカの光と影』より。原題は『The Blackpower Mixtape』、2011年、スウェーデン・アメリカの合作。(写真はアメイジングD.C.発売のDVD版ジャケット)

【註2】Angela Davis/1944年生まれ、カリフォルニア大学サンタクルーズ校名誉教授。1960年代以降、ブラックパンサー党の黒人解放運動、第二波フェミニズム運動、反ベトナム戦争運動などにかかわり、左派系の運動家、理論家として活躍。現在でも「ウォール街を占拠せよ(Occupy Wall Street)」運動などへ積極的に関与している。

社会運動のはじめのはじめ、その核心部分を捉えた稀有な記録映画

 メディアの発達で誰もが掲示板やツイッターに自分の意見を書き込み、動画を撮ってアップロードできる時代に、「差別」がいかなる形をとるか。そして、その「差別」にさらされている人々は何を考え、感じているのか。映画『私のはなし 部落のはなし』は、現代における部落差別の現状を取り上げたドキュメンタリーだ。

 この映画には多くの人物が登場している。が、その主役を一言でまとめれば、“語り”である。

 多くの記録映画のインタビューは――先ほどのアンジェラ・デイヴィスに対するインタビューもそうだが――問う人と答える人の一対一でなされる。対して、本作の特徴は共同の語りを撮影していることだ。恋人や結婚相手の本人やその家族に自分が部落出身であることを言うか/言わないか、部落地域の施設の利用を「コワイ」と嫌がる同級生を説得するか/しないか、かつて自分を差別した人が顧客になったとき当時のことを指摘するか/しないか。多くの逡巡が共同の語りのなかから生まれてくる。その語りが生まれてくる現場を本作は捉えている。

 雑誌「世界」2022年9月号掲載の座談会で、本作監督の満若勇咲はこの手法について、「オープンダイアローグ」を参考にしたと述べている。オープンダイアローグとは、相手の言うことを否定せずただ聞くことを原則とする対話(ダイアローグ)を用いる精神疾患の治療法である。

 言いっぱなし、聞きっぱなし。この手法を記録映画に導入したことで、満若はあることに成功している。それは、ひとりの人間が自らの経験をぽつりぽつりと語りだしていくとき、「周りの人々がその語りをどのように迎え入れるのか」を描くこと、である。どのようなあいづちを打ち、どのように共感し、どのような表情を浮かべ、どこに笑い声を立てるのか。それは一対一のインタビューではかなわないことだ(ついでに言えば、恋愛や結婚をめぐる差別が主題になることが多い本作では、年齢や親子関係などを越えて参加者たちが恋バナに花を咲かせている。語りとともに生まれる“照れ”は、本作の名脇役のひとりである)。

 本作は精神医療の手法を参考にしたというが、社会運動の歴史に照らし合わせれば、共同の場でなされる個人の語りこそ、差別に抗う力を生みだす源だった。

「個人的なことは政治的なことである!」

 これはフェミニズムの有名な標語であるが、社会学者の上野千鶴子によれば、ウーマン・リブの活動家たちは「日本中に女のスペースを作ったり、合宿したり、アクションをしてた」【註3】 。そこで互いに語り合っていたのは、個人的な恨みつらみであり、自分が差別された経験だった。そして、彼女たちはこの共有された経験(「あるある」!)を基にして、その「あるある」が産み出される原因を探ろうとしたのだ。

 本作で行われた共同の語りもまた、リブの合宿やスペースと同じ役割を果たしているといってよい。そういう意味で本作は、社会運動のはじめのはじめ、その核心部分を捉えた稀有な記録映画である。

【註3】『上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!』(2020年、大和書房)P55より

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“語り”を主軸にストーリーが展開していく本作。【(C)『私のはなし 部落のはなし』製作委員会】

差別する側が見ている、「コワイ」というイメージ

 このような被抑圧者たちの語りに対比されているのが、差別する側の人々の語りである。特に、本作はインターネット上で部落地域の写真を公開したり、『全国部落調査』【註4】の復刻版を出版しようとしたM氏にも焦点を当てている。彼は部落探訪と銘打って部落の場所を公開していたために、部落解放同盟から民事訴訟を起こされた。

 そのMの語りには、逡巡がほとんどない。理路整然としている。部落解放運動について、「何か言うと徒党で押しかけてくる」「公金をかすめとっている」「コワイ」と語り、「そのイメージを直そうともしない」と批判する。彼は、“イメージ”に基づいて運動を批判する、とはっきり言明している。イメージは本やマスメディアやネットを通じて瞬く間に拡散する。このイメージを語るMのシーンの直後に、現在の部落解放運動の担い手であり本作の重要な語り手である松村元樹が、解放運動を批判した『同和利権の真相』(2002年~、宝島社)という本の一節を朗読する場面が出てくる。一部のみになるが引用しよう。

「端的にいって怖いからである。糾弾にさらされるのが怖いと、おびえる人もいるだろうし、彼らから「差別者」の烙印を押されるのが怖い、と感じる人もいるだろう。(後略)」

 朗読を終えて松村は、「Mくんと言ってることが同じやね」とつぶやく。この場面では、ぽつりぽつりとした語りと理路整然とした朗読が、差別される側の経験と差別する側のイメージが、並置され、ぶつかり合っている。

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本作における重要な語り手のひとりである松村元樹氏。【(C)『私のはなし 部落のはなし』製作委員会】

 本作では、差別する側へのインタビューは共同ではなく、一対一でなされているのも特徴だ。これがどのような演出意図なのか、私が知るところではない。ただ、差別する側の語りは共同である必要はないだろう。彼/彼女らが見ているのは、イメージだから。それゆえ、差別する側の語りには、共同性ではなく歴史性が与えられる。満若は、差別する側の語りやそれに伴うイメージがいかなる歴史のもとにつくられていったのかを、中世の資料、十五年戦争中に学校でなされた訓話、そして先の『同和利権の真相』などを朗読することで示そうとする。

 共同の語りが照れ、笑い、怒り、悲しみとともに、ぽつりぽつりと語られたのに対し、こうした朗読はいたって平坦であり無味乾燥な印象を与える【註5】。差別される側の語りと、差別する側の朗読とをつなぐのが、静岡大学教授・黒川みどりによる解説である。歴史を語りつつ黒板に文字を書いていく彼女の解説は、語りと朗読を、声と文字を、現在と過去をつなぐ役割を果たす。彼女の語りとチョークの音を捉える満若のカメラとマイクは、教えるという行為の力を存分に引き出す。

【註4】1936(昭和11)年3月に、当時の中央融和事業協会が刊行した、いわゆる被差別部落の調査報告書。融和事業は、1922(大正11)年に結成された全国水平社が社会主義的な色彩を帯びていくことに危機感を抱いた当時の日本政府によって推し進められた、被差別部落の地位向上運動のひとつ。右派的な国粋主義とも親和的であった。

【註5】本作では、水平社宣言や解放同盟員の詩など、差別に対抗する側の歴史性を語る朗読も多数挿入されている。しかし、差別する側のイメージが作られていった歴史を示す資料の朗読のほうが多いため、本稿ではこのような書き方を行った。

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本作において、アカデミックな立場から解説を加える重要な語り手のひとりである歴史学者の黒川みどり・静岡大学教授。【(C)『私のはなし 部落のはなし』製作委員会】

「コワイ」という感情に切り込んでいく映画『私のはなし 部落のはなし』

 また本作は、“あまり”や“余韻”を編集で切らず、残しているのも特徴だ。インタビューの合間の、質問に答える人のさりげない仕草を満若は捉える。満若が避けるのは、物事をイメージだけで語ろうとすることだろう。満若は差別される側の人々はもちろん、差別する側の人々をステレオタイプで扱うわけではない。当然だが、Mもまたふつうの人間である。上空の飛行機の音がうるさくMへのインタビューを一時中断したとき、「ここらへん、基地が近いんだね」という、かき消されそうなMの声をマイクは捉えている。そのとき、戸惑いに似た表情を浮かべるMは、差別に加担しそうな人間だろうか。むしろ、私たちと同じふつうの人間ではないか。

 しかし、この“ふつう”こそが問題なのだ。その“ふつう”とはいったい何か。満若があまりや余韻を残せば残すほど、彼の人間愛が本作を貫いていればいるほど、本作が映し出すものが不気味に思えてくる。

 差別する側の人々はしばしば、部落に生きる人々を「コワイ」と形容する。部落に何か不都合なことを言うと、すぐに徒党を組んで押しかけてくる。コワイ。部落地域の施設を利用するのはコワイ。部落の人々は目つきやまなざしが違う。コワイ。それに対して差別される側は、「コワイ」と言われたことに恐怖を覚えるという。

 こんな場面がある。大阪の部落で育った中島威はかつて、成人式の後に開かれる中学校の同窓会の幹事になった。彼は部落にある施設で同窓会を行おうと提案したが、「あの施設はコワイからやめたほうがいい」と友人が言ったというのだ。彼は、その一言に言葉を詰まらせた経験を語る。

 中島は語る。そのとき「コワイ」と思った、と。自分たちや自分が住む地域が「コワイ」と言われたことに、「コワイ」という感情を抱いたのだ。同じ言葉を使っているのに、置かれた立場によってまったく意味合いが異なる。両者の「コワイ」は同じものか。その感情はひと括りにできるのか。「コワイ」とは何か。それが本作のひとつの問いかけである。

 むろん、自分は差別したことがない、部落の人を「コワイ」と思ったことはないと言う人もいるだろう。しかし、ふつうの男性がしばしばフェミニストを「コワイ」と形容し、ふつうの日本人が朝鮮人や中国人を「コワイ」と形容する場面に遭遇した経験は誰にもあるはずだ。満若はこの「コワイ」という感情に切り込んでいく。「コワイ」という感情が徐々に重みを増していく中島の語りは、本作屈指の名シーンである。

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小峰ひずみ(こみね・ひずみ) 批評家。1993年、大阪府生まれ。大阪大学卒。教師、介護士などを経て、執筆業に専念。論考「平成転向論 鷲田清一をめぐって」で、2021年第65回群像新人評論賞優秀作受賞。同論考を大幅加筆した著作に、『平成転向論~SEALDs 鷲田清一 谷川雁~』(講談社)がある。同書は、2015年頃に隆盛した学生たちの社会運動「SEALDs」の“挫折”を、大阪大学名誉教授で“臨床哲学”を標榜する鷲田清一や、新左翼運動に多大な影響を与えた批評家・谷川雁らの“転向”などとともに論じる意欲作。

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