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不倫報道の広末涼子にはない、名女優の「孤独」 ほかスクープ12本

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広末涼子

今週の注目記事・第1位「“革命児シェフ”と広末涼子(42)W不倫」(『週刊文春』6/15日号)

同・第2位「河野太郎の詭弁を許すなマイナカード返納『クソ制度を廃止しろ!』怒りの国民運動が始まった」(『週刊ポスト』6/23日号)

同・第3位「『猿之助』VS.『警視庁』『自殺幇助で逮捕』後に『未成年性加害』捜査」(『週刊新潮』6/15日号)「猿之助 逮捕 全暗闘 警視庁VS.東京地検」(『週刊文春』6/15日号)

同・第4位「佐藤優・全情報分析 ロシア・ウクライナ戦争 正しい理解の仕方」(『週刊現代』6/17日号)

同・第5位「ジャニーズの虚飾 マネージャーもジュニアを性加害」(『週刊文春』6/15日号)

同・第6位「LINEで友人に送った言葉は…エコノミーシートで『ガーシー』強制送還中の実況中継」(『週刊新潮』6/15日号)

同・第7位「自民党とケンカした公明党の深謀」(『サンデー毎日』6/18日号)

同・第8位「森永卓郎『財務省の闇タブー』大増税のカラクリをバラす!」(『週刊アサヒ芸能』6/15日号)

同・第9位「厚労省パワハラ担当審議官がパワハラで訴えられた」(『週刊文春』6/15日号)

同・第10位「“激動”の連続『天皇皇后』苦難を乗り越えた『ご成婚30周年』」(『週刊新潮』6/15日号)「『雅子妃』誕生までの曲折 家系が重視された旧時代」(『サンデー毎日』6/18日号)

同・第11位「ぼやき癖消滅させた『10年前の失敗』岡田彰布監督V呼ぶ65歳のキャラ変」(『FLASH』6/20日号)

同・第12位「侍ジャパン“ポスト栗山”最有力は『工藤公康』の理由と不安」(『週刊新潮』6/15日号)

同・第13位「沈黙23年『上岡龍太郎』の余韻」(『週刊新潮』6/15日号)「上岡龍太郎の『遺言』9人の証言者」(『週刊文春』6/15日号)

【巻末付録】現代とポスト、SEXYグラビアの勝者はどっちだ!

 

 今週は大物女優の広末涼子のW不倫を文春がスクープ。お騒がせ女、久しぶりのスキャンダルに、週刊誌界騒然だ。

 まずは惜しまれて若くして引退した元漫画トリオの上岡龍太郎が亡くなった話から。

「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流、恵まれない天才、上岡龍太郎です」の名セリフで始まる巧妙な語り口と、スパイスの利いた毒舌が庶民の心をつかんだ上岡龍太郎が5月19日に亡くなったことがわかった。享年81。

 芸人のぜんじろうは上岡についてこう話す。

「人はいつか亡くなる。生きている時間は短いから、酔ったように楽しんでいけよ、と。サイン色紙にも『日々是遺言』と書いていた。洒落っぽく言う人ですけど、自分は一言一言が遺言やと思って話を聞いていました」

 2000年、58歳の若さで芸能界を引退。当時は「妻に『引退するべき時は今』といわれたなどと説明していた。だが引退から9年後、本人がこう振り返っている。

「坂田利夫とか横山ノックだったら、まだ出る場所があった(略)バラエティでボケのおじいちゃんは可愛がられる。けど、それは僕のニンではない」(戸田学『上岡龍太郎 話芸一代   
増補新版」)

 上岡の本音を見抜いていたのは島田伸介だったという。2011年に引退した島田を文春は2017年10月に独占取材しているが、その時こう語っていたという。

「上岡さんは辞める理由がはっきりしていて。“侍の切腹”なんですよ。落ち目になって、戦争で言うたら殺されるのは嫌や、自分の終わりは自分で決める、と。僕もああやって辞めたいと思いましたね」

 上岡は、引退後はマラソンやゴルフなど趣味に生きた。2007年には横山ノックの弔辞で、衰えない話芸を披露したが、表舞台にはついに戻らなかった。

 

 お次はWBC監督の栗山英樹が代表を降りて、次の代表は誰になるかが喧しい。

 大手スポーツ6紙が共通して推しているのは工藤公康・ソフトバンク前監督(60)だという。西武全盛時代をエースとして支え、その後3球団を経て通算224勝。ソフトバンクの監督としては7年間で5度の日本一に輝いた実績を持つているから、栗山に見劣りするとは思えない。

「彼が第一候補であることは間違いないですね」と分析するのは、さるスポーツ紙のデスクである。しかし工藤には不安があるという。

 スポーツジャーナリストの吉見健明はこういっている。

「懸念点を挙げれば、メジャーリーガーへのパイプがあるかどうか。メジャー組が参加するか否かが勝敗を分けますからね。また、工藤は金銭にシビアなことで知られ、ビックリするような額を要求する可能性もあります。さらには、采配が非情と言われ、球界での人望は意外と薄いのです」

 人望の栗山から非情な工藤へ。面白いと思うのだが。

 

 同じ野球の話題。阪神が好調だ。監督が矢野燿大から岡田彰布に代わってから、目を見張るようにチームが変わり、首位を突っ走っている。

 二軍の帝王どまりだった村上頌樹をエース級に、ソフトバンクから獲得した大竹耕太郎が最多勝争い、中野拓夢を2塁へコンバートさせて成功した。

 昔はボヤキの岡田で、試合後には喜怒哀楽全開だったが、今季はそれがほとんど見られないという。

「なんでひとつ負けて暗くなるんかなあ。一喜一憂していたら、体がもたん」 

 と、悟りを開いたかのようで、選手たちも伸び伸びプレーしているようだという。

 2005年に阪神をリーグ優勝させたが、その後は、オリックスの監督をやっても万年Bクラス。10年以上も監督のお呼びがかからなかったが、その間に、野球を研究していたようだ。

 だが、2008年には13ゲーム差をつけていた巨人に逆転された悪夢もあった。今年はそうならないことを祈りたいが。

 

 ところで、天皇皇后の「ご成婚」から6月9日で30年になった。新潮をはじめ女性誌ではこれまでを振り返っているが、おおむね好意的である。

 だが、2人がこれまで辿ってきた道は決して“平坦”なものではなかった。

 当時の皇太子は小和田雅子との結婚を強く望んだが、彼女は外務省のキャリアウーマンで、「外務省で大変やりがいのある仕事をしている。辞めたくない」と何度も断ったといわれる。

 一部報道では、当時、付き合っている男性がいたともいわれた。私も週刊誌の現場にいたが、彼女の意志を尊重すべきではないか、皇太子は諦めるしかないと考えていた。

 この間の事情を、成城大学の森暢平教授が、サンデー毎日(6月18日号)の「社会学的皇室ウオッチング」でこう書いている。

「結婚が決まったのは1993(平成5)年1月19日の皇室会議だが、出会いは6年ほど前に遡る。この間、話は一度白紙となった。宮内庁側で問題になったのは、祖父がチッソの社長であったことである」

 祖父の江頭豊は興銀の銀行マンだったが、1964(昭和39)年から1971年まで水俣病の原因企業であった「新日本窒素肥料(のちにチッソと社名を変更している)」の社長を務めていた。

 水俣病が社会問題になったのは昭和30年代の初めで、患者の一部に見舞金が払われたのは昭和59年だったから、多くは江頭社長の在任中であった。被害者たちと株主総会で全面的に対峙する立場にあり、「補償金を縮減しようと一部被害者を怒らせ、解決を遅らせた社会的な責任はやはりあると私は考える」(森教授)

 雅子さんに問題があったわけではないが、当時の宮内庁では、皇太子のお嫁さんは「清潔で立派な家庭」という古めかしい考え方が支配していたようだ。

 森教授によれば、雅子妃が候補として消えた後、ある女性が有力候補になったことがあったという。

 だが、「やはり曽祖父が朝鮮総督府で武断政治を進めた幹部だったことが問題となった。昭和から平成の妃選考では、家系と血筋が依然として重要だったのである」(森教授)

 そうした宮内庁の旧来然たる考えに反旗を翻したのが、皇太子の雅子さんに対する“熱情”であった。

 いったん白紙に戻った2人の交際は1992年5月初旬に宮内庁から、「雅子さんをお妃候補としたい」という旨が小和田家に届けられることによって再びスタートした。

 執拗な皇太子のプロポーズに“根負けした”彼女は、渋々結婚を受諾したのが12月12日だといわれる。

 1993年1月19日、婚約内定会見を開き、彼女は皇太子からこういわれたと明かした。

「皇室に入られることは不安や心配がおありでしょうが、雅子さんのことは僕が一生全力で守ります」といわれ、心を動かされたというのである。

 その年の6月9日、当時33歳だった皇太子と29歳の雅子さんは、皇居から赤坂御用地までの4キロ余りをパレードし、2人を一目見ようと沿道に集まった観衆は19万人ともいわれた。

 各局を合わせたテレビの生中継の視聴率は85.6%(瞬間最高視聴率)を記録した。

 だが、多くの国民から祝福されて皇太子妃になった雅子さんを待っていたのは、望んでいた皇室外交ではなく、宮内庁を始めとする周囲の「お世継ぎを産め」という強烈なプレッシャーだった。

 メディアもそれに加担して、懐妊の兆候がないかをスクープするために狂奔する。

 1999年12月10日付の朝日新聞が、「雅子さま、懐妊の兆候」と一面で報じた。だが、その月の末に、稽留流産(胎児が子宮の中で亡くなった後、胎児や胎盤などが子宮から排出されずに残っている状態)だったことが判明する。

「これらの一連の過程で、雅子皇后はメディアとともに宮内庁にもぬぐいがたい不信感を抱かれてしまった」(新潮)

 ご成婚から8年後、2001年12月に愛子さんが誕生する。翌年4月、皇太子と会見した雅子さんは、「生まれてきてありがとう」と声を詰まらせた。

 だが、宮内庁を含めた周囲は「男の子ではなくては」と雅子さんを追い詰める。

 様々なストレスが重なり2003年に帯状疱疹を発症し、長期の静養が発表される。

 ここでも、雅子さんの苦境を憂い、宮内庁のやり方に異を唱えたのは夫の皇太子であった。

「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあった」

 これに対して、弟の秋篠宮は、発言する前に「天皇と相談すべきだった」と苦言を呈した。

 このあたりから、兄と弟の間には深い亀裂が入ったのではないかと、私は思っている。

 さまざまな困難を乗り越えられたのは、プロポーズの時の約束を守り続けてくれた天皇と、一卵性親子といわれるほど仲のいい娘の愛子さんがいればこそであろう。

 最近の雅子皇后は、他を圧する威厳のようなものが漂い、そんな雅子皇后の姿を見つめる天皇の表情が和らいでいるように思う。

 もし愛子天皇が実現したらとは思うが、雅子皇后は娘にそんな苦労をさせず、やさしい人と結婚してくれればいいと思っているのだろう。

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