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稲田豊史の「さよならシネマ 〜この映画のココだけ言いたい〜」

『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』の「エヴァみ」

『スパイダーバース』が画期的だったこと

『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』の「エヴァみ」の画像1

 マルチバース的な並行世界のそれぞれに存在する複数のスパイダーマンの集合と活躍を描いた前作『スパイダーマン:スパイダーバース』(18)は、2つの点で画期的だった。日本のリミテッドアニメ的な見せ方(演出、アクション)の美学やケレン味を、アメコミ的・ポップアート的ルックと掛け合わせて最高の形で本歌取りしたこと。そして、別の並行世界(別のユニバース)の世界観を、なんと「そこに属するスパイダーマンの画風(タッチ)の違い」によってメタレベルで表現したことだ。
 
 今作『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』では、その2点が怒涛のように進化している。冒頭、ヒロインであるスパイダー・グウェンのアクションは、1980年代以降の典型的な作画キレキレ日本製アニメの躍動感を彷彿とさせるし、山場の集団攻防戦は、ここ20年ほどの日本製アニメ的・ゲーム的演出の集大成といった趣がある。また、洗練されたポップアートや水彩画がそのまま動いているかのような――いわゆるアートアニメ的な――表現が決して高踏に構えていない点も素晴らしい。エンタメ作品ながら「開かれたアート」として成立しているのだ。
 

 
 各スパイダーマンが背負う世界観の差異は、キャラのタッチ描き分けによって表現されるのみならず、彼らが住まう街の画調にまで及ぶことになった。登場する複数の並行世界(同じ現代の地球だが、世界線が違う)は背景美術や色使いのテイストがすべて異なるのだ。言ってみれば、画風がまったく異なる複数の漫画家がコマごとに作画を担当し、1本の作品を共作しているようなもの。とにかく贅沢、クリエイティブに貪欲で際限がない。思いつく限りのトッピングを全部乗せました感が、観ていて実に気持ちいい。
 

キングピン=碇ゲンドウ、マイルス=碇シンジ

『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』の「エヴァみ」の画像2

 前作『スパイダーマン:スパイダーバース』には、そこはかとなく「エヴァンゲリオンみ」があった。スパイダーマンに敵対するヴィランのキングピンは、死んでしまった家族(妻と息子)と再会したいがために、加速器を使って異世界への扉を開こうとする。その行為が世界の大多数の人間にとっては“大迷惑”なため、スパイダーマンたちが阻止するのだ。
 
 一方、『新世紀エヴァンゲリオン』の碇ゲンドウも、死んでしまった妻・ユイと再会したいがために、人類補完計画を利用して(比喩的に言えば)世界を改変しようとする。それを阻止する勢力との戦いが、2021年に公開された『シン・エヴァンゲリオン劇場版』だった。
 
 しかも、両者とも家族を亡くしたのはある種の自己責任だった。キングピンの妻子は、彼がスパイダーマンを殺害しようとするのを目撃したショックで現場を逃げ出した結果、事故で死亡。ゲンドウの妻・ユイは、ゲンドウが立ち会う実験中に事故で肉体が消失している。
 
 主人公が置かれているつらい立場も似通っていた。『スパイダーマン:スパイダーバース』の主人公・マイルス少年は、世界を救うヒーローの大役を、自分の能動的意志ではなく引き受けることになる。しかも、正体を隠しているためマイルス個人としては世間から称賛されない。大きなものを背負わされるのに、尊敬をもって頼られないのだ。
 
 『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジも同様だ。エヴァンゲリオン初号機には乗りたくて乗っているのではない。かと言って、父親であるゲンドウにはほとんど褒められず、期待もされない。こちらも、大きなものを背負わされるのに頼られない。
 
 両者ともに10代半ば、思春期真っただ中の多感な少年。父親との関係性に悩むという点も同じ。さらに「当初は孤独に戦っていたが、やがて同じような境遇で孤独に戦う仲間の存在が救いになる」という展開も共通している。仲間とは、『スパイダーマン:スパイダーバース』においては別の並行世界のスパイダーマンたち。『エヴァンゲリオン』においては零号機パイロットの綾波レイや弐号機パイロットのアスカのことだ。
 

運命論と決定論に対する反旗

  今作『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』には、前作とはまた別の「エヴァンゲリオンみ」がある。
 
 本作の中心的命題に、「ひとりと全世界は両方救えない」というものがある。全体利益のためには個人を見殺しにしてもいいのか? 世界の大きな理(ことわり)に、個人は黙って従うしかないのか? その問いに対してマイルスがどんな行動を取るかが、物語後半のキモだ。
 
 『新世紀エヴァンゲリオン』では「人類補完計画」という壮大な既定シナリオの実行部隊、いわば世界の理の守護者が、碇ゲンドウ率いるNERVだった。当初はシンジもそれに協力する立場だったが、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(12)以降は、シンジの上司である葛城ミサトを中心とした反NERV組織が「黙って従わない」姿勢を示すことになり、シンジもそこに合流する。
 
 大きな力や大きな流れ、あるいは運命論や決定論。そういったものに対する個人もしくはコミュニティの反旗が、両作には共通して描かれているのだ。
 

グウェン・ステイシー=葛城ミサト

  『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』で描かれる、とある並行世界では、街に大勢のスパイダーマンがあふれている。そこでのスパイダーマンは唯一無二のスーパーヒーローではない。しかも、それら多数のスパイダーマンは主人公を襲ってくる。これは『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(97、通称:旧劇場版)でエヴァ弐号機に襲いかかってくる量産型エヴァシリーズを彷彿とさせる。
 
 スパイダーマンvsたくさんのスパイダーマン、エヴァvsたくさんのエヴァ。この状況が示すのは、もはやスパイダーマンであるというだけで(あるいはエヴァであるというだけで)唯一無二のヒーロー/主人公/正義の味方ではないという事実だ。「スパイダーマンである」という属性タグだけでは何も解決しない。大事なのは出自や所与の特殊能力ではない。「個人として主体的に何を決断し、どう行動したか」だ。
 
 出自や所与の特殊能力は、個人の努力でどうにかなるものではない。という意味では、出自や所与の特殊能力に基づく生き方や物語は、とても運命論的・決定論的であるといえる。しかし『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』のマイルスはそれに抗う。ミサトも、実行されようとしているとてつもなく大きな確定的シナリオを止めようとする。

『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』の「エヴァみ」の画像3  そのミサトにあたるのが、スパイダー・グウェンことグウェン・ステイシーだ。マイルスとは別の並行世界に住む、マイルスに対してはややお姉さん的な立ち位置の少女。シンジの上司かつ姉貴分であるミサトに近いものがあるし、父親に対する感情をややこじらせている点も、ミサトに重なる。
 
 なにより、途中まで忠実に従っていたNERVに突如反旗を翻したミサトの行動に非常に近い行動を、グウェンは取る。その行動に大きく影響を与えたのがマイルス(=ミサトに対するシンジ)であるという点も、状況が重なる。

 ●価値観をアップデートするのか、多様性を尊重するのか

  ところで『新世紀エヴァンゲリオン』という作品には、ざっくり言って2つの世界線が存在する。ひとつは、1995~96年のテレビシリーズおよび1997年の旧劇場版(旧エヴァ)。もうひとつが、2007年から2021年にかけて全4作が劇場公開されたリブート版(新エヴァ)だ。
 
 旧エヴァと新エヴァは、基本的な設定や描かれる時系列、途中までの展開は同じだが、後半の展開や結末が大きく異なる。それでいて両作はそれぞれ独立した作品として自立しており、それぞれに持ち味がある。その意味で旧エヴァと新エヴァは、マルチバース的な並行世界同士と捉えることもできよう。これも実に「スパイダーバース」的だ。
 
 ただし『新世紀エヴァンゲリオン』の場合、旧エヴァではどうしようもなく決着がつけられなかった(と視聴者の目には映った)物語を、リブートすなわち「一から作り直す」ことで文字通り決着をつけた。言ってみれば、「前のやつはなかったこと」になっている。実際、新エヴァの“成熟した大人の結末”は、旧エヴァの“少年のように無垢でとげとげしい結末”とは非常に対照的だ。
 
 対して『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』では、同時に存在する複数の並行世界をすべて尊重しながら、それでも世界が崩壊しない方法を主人公たちが模索する。つまり、別の世界線を「なかったこと」にはしない。というより、世界の成り立ち上「なかったこと」にはできない。
 
 四半世紀もの時をかけて価値観のアップデートを図り、過去を否定することで現在に価値を見出した『新世紀エヴァンゲリオン』(1995~2021年)と、最初からマルチバース(≒多様な価値観)を尊重することが主人公に宿命づけられているCGアニメ版『スパイダーマン』(2018~2023年/2024年に続編公開)。この差は、作品が経た時代の違いなのか、作品が生まれた国の違いなのか。
 
 ところで、タイトルの副題「アクロス・ザ・スパイダーバース(Across the Spider-Verse)」は、ビートルズが1969年に発表した楽曲「アクロス・ザ・ユニバース(Across the Universe/宇宙の至る所で)」を想起させる。同曲で何度もリフレインされる印象的なフレーズと言えば「Nothing’s gonna change my world」だが、「何ものも、僕の世界を変えられない」だなんて、なんだかすごく……エヴァっぽい言い回しだ。
 
『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』の「エヴァみ」の画像4
 
『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』
監督:ホアキン・ドス・サントス、ケンプ・パワーズ、ジャスティン・K・トンプソン
脚本:フィル・ロード&クリストファー・ミラー、デヴィッド・キャラハム
声優:シャメイク・ムーア、ヘイリー・スタインフェルド、ジェイク・ジョンソン
2023年、アメリカ/140分
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
6月16日(金)全国の映画館で公開
©2023 CTMG. © & ™ 2023 MARVEL. All Rights Reserved.

稲田豊史(編集者・ライター)

編集者/ライター。キネマ旬報社を経てフリー。『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』(光文社新書)が大ヒット。他の著書に『ポテトチップスと日本人 人生に寄り添う国民食の誕生』(朝日新書)、『オトメゴコロスタディーズ フィクションから学ぶ現代女子事情』(サイゾー)、『「こち亀」社会論 超一級の文化史料を読み解く』(イースト・プレス)、『ぼくたちの離婚』(角川新書)などがある。

いなだとよし

最終更新:2023/06/19 00:32
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