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歴史エッセイスト・堀江宏樹の「大河ドラマ」勝手に放送講義17

『光る君へ』伊周・三浦翔平の失脚と“不敬事件”、そして中関白家の没落と道長“隆盛の始まり”

『光る君へ』伊周・三浦翔平の失脚と不敬事件、そして中関白家の没落と道長隆盛の始まりの画像1
藤原伊周を演じる三浦翔平。(写真/Getty Imagesより)

──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ

 前回(第17回)の『光る君へ』では、清少納言(ファーストサマーウイカさん)がキスしようとする藤原斉信(金田哲さん)をすげなくかわして、「寝たくらいで自分の女だと思わないで」的に翻弄するシーンが印象に残りました。『枕草子』でも「ある時期」を境に、これまで貴公子の中の貴公子として褒め称えられてきた藤原伊周(三浦翔平さん)――前回ラストで、飲水病(糖尿病)で亡くなった藤原道隆(井浦新さん)の長男・伊周は『枕草子』に描かれなくなり、彼の「後釜」になったのが藤原斉信という人物だったのです。

「ある時期」とは、具体的には長徳2年(996年)1月16日の「長徳の変」のことです。

 前回のドラマにも、伊周が「前太政大臣(さきのだいじょうだいじん)、三の君」のもとに出かけるというセリフが出てきたので、歴史に詳しい方はピンときていたかもしれませんが、まさにそれと関係しています。

 前太政大臣とは、藤原斉信の父・藤原為光(阪田マサノブさん)のこと。その三女は「寝殿の上(しんでんのうえ)」という通り名だけが残っており、生年・氏名ともに不詳の女性なのですが、花山天皇(ドラマでは本郷奏多さん)から激しく寵愛された忯子(同じく井上咲楽さん)の妹にあたる人物です。もちろん、斉信の妹でもありますね。

 以前のドラマで花山天皇は藤原道兼(玉置玲央さん)にそそのかされ、結果的には一人で出家させられてしまいました。その後は、花山天皇あらため花山院が御真言を熱心に唱えているシーンが一度ありましたが、史実の花山院はその後も日本各地で本格的な仏道修行を積んだ末、平安京に戻ってきていたのです。

 そして出家した身の上でありながら、自分の乳母であった女性やその娘を同時に寵愛したり、かなり乱脈な性生活を送るようになっていたのです。そんな花山院の恋人の一人が、藤原為光の娘で、院がかつて寵愛した忯子の妹にあたる姫君だったのですが、院がご執心だったのは為光の四女・藤原儼子(たけこ)であって、伊周の恋人の三の君こと寝殿の上に手出ししていたわけではないのですね。

 しかし、伊周は色好みで知られる花山院も故・藤原為光邸に通っていることを「なぜか」知っており、「自分の恋人を寝取られた」と「なぜか」勘違いして、弟・隆家(ドラマでは竜星涼さん)、そして従者たちとともに花山院の牛車を矢で射かけて攻撃するという、とんでもない不敬事件を起こしてしまったのでした。

 この時、花山院の法衣の袖に矢が突き刺さり、本当に殺されてしまいかねない状況だったこと、さらに院の従者二人が殺され、首を切断されたのみならず、彼らの生首が伊周・隆家兄弟(と従者たち)の手で持ち去られてしまったという凄惨な結果から見て、院と伊周・隆家兄弟の抗争は偶発的に起きたというより、おそらく伊周・隆家兄弟には事前に情報が伝えられ、襲撃計画が練られた末に起きた事件だったと推測されるのです。そうでなければ、伊周と隆家は月夜の晩だったにせよ、夜間に人目を忍んで来ている花山院の牛車や従者たちをそこまで激しく攻撃することができた理由がよくわからないのです。

 また、この事件をウラから糸を引いて操っていたのは藤原道長(ドラマでは柄本佑さん)と、以前は「中関白家」のシンパだったものの、彼らを裏切り、道長派に寝返ろうとして情報提供を行ったのであろう藤原斉信だと思われます。

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