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深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】vol.381

“奇跡の男”と呼ばれた人気アスリートの裏の顔! ドーピングで夢をつかんだ『疑惑のチャンピオン』

movie-champion01ドーピングが平然と行なわれているスポーツ界の内情を『疑惑のチャンピオン』では赤裸々に描いている。

 人気タレントや俳優はアンチエイジングや美容整形を施すことで若々しさを保ち、AV男優はバイアグラを呑むことでベストパフォーマンスを常に披露できるように努めている。それらの行為は積極的に褒められはしないものの、プロゆえの涙ぐましい営業努力として世間から容認されている。では、なぜ彼の場合は永久追放という厳しい処分が下ったのだろうか。映画『疑惑のチャンピオン』は、自転車競技の最高峰「ツールドフランス」で前人未到の7連覇を達成したランス・アームストロングのスキャンダルまみれの半生をドラマ化したものだ。

“奇跡の男”という呼び名に相応しく、アームストロングの人生は山あり谷ありの起伏に富んだものとなっている。1971年に米国テキサス州で生まれたアームストロングは実の父親の顔を知らずに育った。17歳違いの母親とは非常に仲が良かったが、継父との折り合いが悪く、DQN人生まっしぐらな少年期を過ごしていた。そんなドン底生活から脱出するため、アームストロングはアスリートとしての道を選ぶ。わずか16歳でトライアスロンレースにプロとして参戦。さらに金になる競技としてロードレースに専念し、93年にツールドフランスにデビューするや、早くもステージ優勝を果たす早熟ぶりだった。

 だが、運命の神はアームストロングに厳しい試練を与える。アスリートとしてもっとも充実している25歳のときに、精巣癌であることが発覚。脳や肺にも転移しており、生存率20%と診断される。ところが、ここからがアームストロング伝説の始まりだった。不屈の闘志で癌治療とリハビリを乗り切り、わずか2年後にはツールドフランスに復帰。99年からは史上初となる7連覇を果たし、伝説のチャンピオンとなる。さらにレースで得た賞金やスポンサーからの収益を元に癌撲滅のための財団を立ち上げ、慈善事業に熱心なアスリートとして世界中の賞讃を集めるようになる。と、ここまでがアームストロングの表の顔だ。

 映画『疑惑のチャンピオン』ではツールドフランス参戦以降のアームストロングの裏の顔が描かれる。野心とハングリーさでは誰にも負けないアームストロング(ベン・フォスター)は、スポーツ医師のフェラーリ(ギヨーム・カネ)と出会い、「君は頑張ればいい選手になれる。でも、偉大な選手にはなれない」と告げられる。アームストロングはフェラーリ医師が他のトップ選手たちに施している“プログラム”を自分にも課してほしいと懇願する。プログラムとは、つまり運動能力向上薬の使用や血液ドーピングを計算に入れた綿密なトレーニングのこと。長い伝統を誇るツールドフランスだが、薬物との繋がりも古くから知られていた。当時の上位入賞者は、みんなドーピングを行なっていた。ドーピングが見つかれば、当然失格になるし、血液がドロドロになり、生命の危険も脅かすことになる。実際に98年のツールドフランス優勝者マルコ・パンターニは34歳の若さで亡くなり、現役時代の過剰なドーピングが要因だと囁かれている。それでも、アームストロングは自分の肉体を削ってでも人生の勝利者になりたいと願う。フェラーリ医師の強化プログラムを授かったアームストロングは、無敵の生体マシンとなっていく。

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