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ドラッグで宗教的体験は得られるか──参加できるのは選ばれた者だけ? サイケデリックスの神秘性を問う

脳を活性化させるサイケデリック

 宗教とドラッグの関係は、実は長い歴史を持っており、「宗教体験が得られるもの」としてサイケデリックスを儀礼的に使用する例は、さまざまなところで見られるという。『空海と密教美術』(角川選書)など、多数の著書がある宗教学者の正木晃氏は、蛭川氏とともに国立民族学博物館で1997~98年度に行われた「ドラッグ文化の諸相」という共同研究に参加。その成果は、『サイケデリックスと文化 臨床とフィールドから』(春秋社)という本にまとめられている。正木氏が言う。

「サイケデリックスを、宗教体験を得るために利用する習慣はヒンズー教やゾロアスター教、あるいは中南米のシャーマニズムなど、さまざまなところで確認されています。チベット仏教が盛んだった土地のあたりにもかなり大麻が自生していて、ごく一部の修行者が使ったという伝承も残されていますが、積極的に使っていたとは言えません。

 また、生産力に極めて乏しい原始的な社会における使用例もあります。余裕がまったくないゼロサム社会では、集団が間違った方向にいくと全滅してしまいますから、いつ雨が降るか、疫病や天災は起こるかなど、未来を予知しておくことが必要になる。ドラッグが作り出す変性意識の状態は、そのような予知を可能にすると信じられてきました。普通の感覚ならそれは幻覚で、未来予知ではないと考えるのでしょうが、実際に体験した人によると、本当にドラッグによって見たビジョンと同じことが実際にその後起こった、ということをしばしば経験したそうです。これを経験したある人は、時空間はある種のドラッグによって乗り越えられることがわかった、と言っていました。ただしそれもまた幻覚かもしれないという疑いはつきまといますが……。

 さらに言えば、一般的にドラッグが使用されるときには、悟りを求める場合と、単に快楽を求めている場合があると思うのですが、宗教の歴史において、後期の密教では最高の智慧は最高の快楽として把握できると主張されています。理趣経というお経にはそのあたりの思想が反映されていますし、最高の瞑想は快楽を伴うという考えは、古代インドからありました。それを突き詰めれば、最高の快楽を求めることは最高の瞑想を求めることとイコールだという論理になってしまいますが、密教が想定した快楽はおおむね性の快楽がベースになるので、ドラッグを使うことと直結はしません」

 変性意識の状態で未来を予見できるというのは、現代人の常識からは素直に理解しがたいが、ある種の共同体では、特殊な意識状態に入ることで、人知を超えた存在と特殊なチャンネルがつながり、通信が可能になると信じられている節がある。正木氏が続ける。

「変性意識の中に重要な意味があると考える共同体では、厳格な規範が定められていて、ドラッグの神秘的な体験は誰でもしていいものではなく、『してもいい者』と『してはいけない者』がいると考えられています。サイケデリックとは、直訳すれば精神を(通常の状態から)持ち上げるという意味なのですが、そういう体験をすることによって、今まで開かれなかった精神の世界が開かれて、プラスに働く人もいる。そういう人に対しては、条件つきでドラッグを体験することを認めるけれど、大部分の人にとっては、いわゆるバッドトリップといわれる体験を引き起こし、ときには死に至る事態にもなりかねないので、やらないほうがいいというより、やってはならないと制限を設けています。神秘体験を求めてドラッグを服用することは、心身両面において極めて危険なので、避けるべきだという考えは、この領域に詳しい精神医学者の間でも広く共有されています」

 正木氏によると、サイケデリック(サイケデリックス)によって宗教体験が得られるか、単なるバッドトリップとなるかは、その人の先天的な資質はもとより、それまでの宗教的素養など、ライフヒストリーとも関係しており、一般論で判断することはなかなか難しいという。サイケデリックを宗教体験に使用する共同体でも、経験を積んだ指導者のような人物が、この人なら大丈夫だと判断した者にのみ、儀式における使用を認めるというのが、原則的な在り方だという。

「サイケデリックスには脳を活性化させたり、精神を拡張させたりするような作用があり、これを使った宗教儀礼は世界のさまざまな場所で見られます。社会において伝統的に継承されてきたものは、無意味なものではないだろうということは確かに言えるでしょう。ただ、そういう風土がある社会でも、全員がそういうものを使うわけではない。選ばれた者だけが使用できて儀礼に参加することを許されてきたわけです。そして重要なのは、決して快楽を得ることを目的に使用しているのではないということです。あくまでも宗教的な儀礼であり、集団を維持するために使っている。あるいは宗教的な悟りを得るために使っているのですから、そこには自ずから、ある種の規制も存在するのです」

 正木氏は、宗教体験とサイケデリック体験の間には深い関係性が認められるが、それだけでは宗教体験になり得ないと考えている。また、快楽のためにサイケデリック体験だけを追い求めることがしばしば深刻なバッドトリップを引き起こすことは、よく知られているところなのである。

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