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King & Princeは「一即多・多即一」を歌い続ける──僧侶が仏教的視座で考える岩橋玄樹の脱退とアイドルの永遠性

推すことは修行である

King & Princeは「一即多・多即一」を歌い続ける──僧侶が仏教的視座で考える岩橋玄樹の脱退とアイドルの永遠性の画像3
炭治郎、炭治郎、行くな!!私を置いて行くなアアアア!!(画像は『鬼滅の刃』22巻)

 でも、だいたいのオタクはそんなことは分かっている。分かっていても、知らない間に永遠を求めてしまっているのだ。誰もが一寸先は鬼舞辻?無惨。

 頭で分かっていても、心と身体は変わっていく世界のスピードになかなか着いていけない。だから、僧侶は修行をする。仏道は、自分自身に煩悩があることを自覚することから始まる。つまり、僧侶もそうであるように、私たちオタクも「自分は弱い生き物である」と、自覚することからオタク道が始まるのではないだろうか。

 アイドルとオタクの関係性は、依存でもなく崇拝でもなく「共在」でありたいと、僕はいつも願っている。アイドルがパフォーマンスやトーク力を磨いて成長していくのと同時に、オタクはいついかなる時も推しをおおらかな気持ちで迎えられるように精神的に成長していく。推しが頑張っているから、自分も頑張る。これが一番美しい。

 たとえば、週刊誌で何かスキャンダルが出たとき、まずはざわついた自分の心を客観的に眺める。「何やってんの……」「もしかしたらこのまま芸能界引退する気じゃ……」そんなノイズが湧いてきたとき、アイドルが永遠の存在だと勝手に思い込んでいた自分に気づく。アイドルも一人の人間なんだから、自分の思い通りになるわけなんてないと、言い聞かせるのだ。

 そして、アイドルに向いていた矢印を、自分に向ける。過去ではなく未来でもなく、今に目線を置くようにスイッチを切り替える。残された時間、アイドルがアイドルでいてくれる最期のひとときを一秒も無駄にしないよう、自分にできることだけを考えて、全身全霊でコンサートに臨もうとマインドフルネスするのだ。仏教の修行とは、こうした心の観察と実践の繰り返しである。

 アイドルを推すことは、修行に似ている。僧侶の目から見ると、すべてのアイドルオタクは諸行無常を実践する修行僧みたいだ。

 Tさんの感じる痛みとは、ブッダが捉えていた痛みだ。ブッダが2500年前からなんとかしようとしていた痛みそのものなのである。だからこそ、苦しく、言葉一つで乗り越えられるような痛みでは、決してない。

 そこにあるのは、修行しかない。痛くてどうしようもなくても、「アイドルは永遠ではない」「アイドルは無常である」という現実を受け止め、変わり行く世界に自分の心を並走させることしか、悲しみを収めきる方法はない。苦しいけど、そう思う。アイドルとともにオタクも修行していくしかない。

一瞬は永遠である

 これは蛇足かもしれないが、今回原稿を書くにあたって、King & Princeの曲をたくさん聴いた。その中で、King & Princeの曲には「永遠」がテーマとして歌われていることが多いことに気づいた。

永遠を誓おう 君を守り続けるよ
虹のように温かな愛で 君を包もう
小さな幸せだって 大切に重ねながら
この星に願うよ
ずっと幸せ 続きますように
『Memorial』

君と二人そっと寄り添いながら
永遠にずっとずっと笑顔のままで
『I promise』

 身も蓋もないことだけど、仏教には永遠なんてものは存在しない。だって、出会いには必ず別れが存在するし、究極的なことを言えば、どんな人にも死は平等に訪れてしまうからだ。

 じゃあ、キンプリの歌う永遠が夢まぼろしなのかと言われると、仏教にはこのような言葉もある。「一即多 多即一(いっそくた たそくいつ)」。これは時々、「一瞬即永遠 永遠即一瞬」という言葉で語られることもある。つまり、「一瞬は永遠であり、永遠は一瞬」ということだ。

 どういうこと? と思われるかもしれない。でも、キンプリのオタクなら、この言葉の意味はなんとなく分かっているのではないだろうか。

“I love you.”も
“Do you love me?”も
口にすれば同じ
一瞬も永遠も
恋すれば同じ
『koi-wazurai』

 そう、『koi-wazurai』の歌詞では、恋における一瞬の永遠性が歌われているのだ。

 思い出してみてほしい。誰かに恋をしたとき、または推しに心がときめいたときのことを。普段とは異なる特別な時間の感覚にならなかっただろうか。この一瞬一秒のために生きてきたかのような、過去も未来も超えた時間の感覚。オタクならば誰しも、コンサートや画面を通して、もしくは音楽CDの向こう側で、そんな瞬間を一度は経験したことがあると思う。

 仏教で説かれる「一即多 多即一」も、キンプリの歌う『koi-wazurai』 に他ならない。仏教は言う。永遠は一瞬の積み重ねであり、一瞬を軽んじる者に永遠はないと。永遠とは一瞬の中にあるのだと。

 だからこそ、“あなたの中にある推し”を大切にしてあげてほしい。推しと過ごした一瞬一瞬の中に永遠はあるのだと、自分を励ましながら。

 たとえ芸能界を引退しても、もう何もリアルタイムが更新されなくなったとしても、オタクの中で推しは生き続ける。それは他でもなく、Tさんの言葉の通り、オタクの人生は推しがすべてであり、推しによってつくられているものだからである。

 嵐のような感情の中で、もしも寂しさを感じたのなら、そんな自分を祝ってあげてほしい。それはあなたの中に生まれた一粒の永遠のような存在だ。痛い。痛いけど、その痛みは、あなたの中に推しが生きている証拠だ。

 たとえ目の前から存在が消えてしまっても、たとえ魔法が解けてしまっても、あなたを守り続ける一瞬という名の永遠。僧侶の耳には、King & Princeはそれを歌い続けているように聞こえた。

魔法が解ける日が来たって
いつになっても 幾つになっても
ボクはキミを守り続ける
『シンデレラガール』

 悲しみにくれるアイドルオタクに、幸せがありますように。

稲田ズイキ(僧侶)

1992年、京都久御山町の月仲山称名寺生まれで副住職。同志社大学卒業後、渋谷のデジタルエージェンシーに入社。現在は「煩悩クリエイター」を名乗って独立し、文筆業のかたわら、フリーペーパー『フリースタイルな僧侶たち』の3代目編集長に就任するなど、時々家出をしながら多方面にわたり活動中。2020年には集英社から初の著書となる『世界が仏教であふれだす』を出版。

Twitter:@andymizuki

『世界が仏教であふれだす』 (集英社ノンフィクション)

いなだずいき

最終更新:2021/11/29 19:48
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