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稲田豊史の「さよならシネマ 〜この映画のココだけ言いたい〜」

『もっと超越した所へ。』反ジェンダーフリーなどんでん返しと主題歌がaikoの意味

『もっと超越した所へ。』反ジェンダーフリーなどんでん返しと主題歌がaikoの意味の画像1
菊池風磨(中央)のダメ男役

 ざっくり言えば、4人の女性(前田敦子、伊藤万理華、黒川芽以、趣里)が4人のクズ男(菊池風磨、オカモトレイジ、三浦貴大、千葉雄大)から“被害”を受け、最後に激ギレする話だが、クズ男たちのクズっぷりがとにかく徹底している。

 4男性とも基本的にはヒモで、各女性の家に家賃を払わず居候している。才能も生活力もないのにプライドは高く、恩着せがましく、糾弾された際の弁解にはまるで説得力がなく、むしろ逆ギレし、「自分は傷ついた」と主張する。打たれ弱く、女々しく、自分が悪者になりたくないばかりに、破局すら美談にまとめようとする。4男性とも姑息で卑怯、器が小さく甲斐性がない。

 クズ男カタログとしての網羅性は高い。よくもまあ、ここまでクズ男の典型属性を丹念に採集し、4人のパーソナリティに配分したものだ。

 このクズっぷりに、味わいや奥行きはない。ただただ不快だ。よって4女性による激ギレは、観客に大きなカタルシスを運んでくれる。溜めに溜めた怒りを、理不尽を、恨み節を、強い言葉で男たちに叩きつける。彼らのダメさ加減が漏れなく糾弾され、断罪される。男たちが反論を差し挟む余地など1ミリもない。徹底的に詰める。詰め倒す。彼女たちはすべてを言い尽くし、全弾を撃ち尽くす。

 男たちは女性たちの部屋をそれぞれ追い出される。哀れに、惨めったらしく。そして観客は思う。

「ふう、すっきりした」

 ここで終わっても映画としては成立する。しかし本編はまだ約15分も残っている。いやむしろ、この映画の本体がラスト15分だと言ってもいい。

「超越した所」の意味 ※これ以降、結末の展開にやや触れる記述あり

 ラスト15分は文字通りの「超展開」なので、詳細は伏せる。そのうえで4女性が下した結論だけを――予告編で前田敦子が叫んでいるセリフを一部引用しつつ――大雑把に咀嚼して言うなら、こうだ。

「私が何かを飲み込めば、多くを望まなければ、別れないで済んだ」

 要は、彼女たちはクズ男と別れたことを後悔しているのだ。

 これには唖然とするしかない。クズ男のクズ男っぷりは、どう贔屓目にみても擁護する余地がないからだ。彼女たちは「私にも反省すべき点があった」と言うが、責任比率で言えば99:1くらいで男が悪い。というか、映画は最初から99:1で男が悪く見えるように描いている。

 にもかかわらず、彼女たちが下す結論は、「自分がマリア様になる」ことだ。自らが「愚かな男を赦(ゆる)せる存在」にさえなれば、それで全部解決する。だから、いいじゃないかと。恋愛感情を抱けるような相手が目の前から去ることに比べれば、幾分かマシであると。

 ついさっきの激ギレで観客が感じた「ふう、すっきりした」をすべて吹き飛ばす、驚愕の結論。しかもその結論に至る彼女たちは、真理を発見した「ユリイカ!」並みのハイテンションだ。この「躁」に振り切った明るい妥協たるや。

 完全なる諦念、達観した開き直り。なるほど、これがタイトルの「超越した所」か。境地、というやつだ。

 しかし、果たしてその「超越」の方向性は是なのだろうか? ポリコレに照らし合わせれば、どう考えても非に思える。口に出すのも野暮ったいが、この「女性だけが我慢する」構造は、ジェンダー平等を目指す2022年の社会においてはありえないソリューションである。

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