日刊サイゾー トップ  > 『鎌倉殿』史実でも謎の多い八田知家
歴史エッセイスト・堀江宏樹の「大河ドラマ」勝手に放送講義

『鎌倉殿』同様に八田知家はワイルドでわが道を行く人物だった? 実朝を諌めた逸話も

遅刻しても頼朝に怒られず、実朝にも“物申す”ことができた八田知家

『鎌倉殿』同様に八田知家はワイルドでわが道を行く人物だった? 実朝を諌めた逸話もの画像2
陳和卿(テイ龍進)と八田知家(市原隼人)|ドラマ公式サイトより

 八田知家という人物について、断片的に残された史実や逸話を総合すると、たしかに「型破り」とか「自分の道をいく」タイプであったのではないかと思えてきます。たとえば知家にはこんなエピソードがあります。

 後鳥羽上皇に対面するべく、実朝が上洛(=京都に行くこと)を企てた時、それにかかる経費の莫大さを認識しながらも、御家人たちはなかなか反対ができませんでした。ドラマとは異なり、史実の実朝は気性が激しく、御家人たちはそんな彼が怖かったのです。

 しかし、この大事な評議に知家は遅刻して現れた上に、みんなが言いたくても言えなかった費用の問題をズバッと指摘し、実朝も彼の言葉だからこそ、おとなしく従ったそうです。知家は、「獣の王」たる「天竺の師子(=獅子)」がその鳴き声だけで人々を恐れさせるように、その気がなくても君主は畏れられるものだと発言し、この喩えを実朝は気に入ったようで、上洛計画はめでたく取りやめになったというくだりは興味深いです。

 これは、鎌倉時代に成立した『沙石集』という「説話」――つまり「本当にあった話」という触れ込みで、一説に知家の血縁にあたる無住(むじゅう)という僧が編纂した書物に見られる話です。

 また、知家が重要な会議に「遅刻してきた」……つまり、それでも許されたという逸話は『吾妻鏡』の頼朝時代の記述にも見られます。

 頼朝の上洛についての重要事項を決定する会議に知家は遅れてきたものの、頼朝は仕方なく受け入れただけでなく、彼のアドバイスを全面的に採用したといいます。頼朝には、「石橋山の戦い」に大敗して味方を募っていた時期に、大遅刻してきた上総広常に激怒して威信を示したという逸話もある一方で、知家が遅刻しても怒ることはなかったようですね。

 これは、彼が“遅刻キャラ”だったからというわけではありません。八田知家の子・知重、そしてその子孫たちも幕府で影響力を持ち続けたので、彼らの先祖の知家も、頼朝さえ一目置くほどに高く、知的な人物だったと『吾妻鏡』に明記させたかったのでしょう。実際、頼朝の乳母の一人である寒河尼は知家の姉妹でしたから、頼朝にとって、知家は叔父さんのような存在だったのかもしれません。

 「頼朝にとって知家は叔父さん」といえば、『鎌倉殿』第42回では、知家が実年齢をほのめかしたシーンも話題を呼びました。知家は「この仕事(=唐船の造船作業)を最後に隠居しようと思っている」と発言し、「まだお若いではないか」と三善康信(小林隆さん)に言われると、「若く見えるが……実はあなたとそう変わらない」と返した彼のセリフを信用すると、当時70代ということでしょうか。知家の生没年は定かではないのですが、思わず笑ってしまうやり取りでした。

 知家は隠居時期についてもよくわかっていませんが、一説には、実朝が鎌倉殿に就任した1年後の建仁4年(1204年)以降、彼が「筑後入道」と呼ばれ始めたそうで(法名は尊念)、その頃には出家し、家督も息子たちに譲ることを進めていたと考えられます。例の唐船騒動の時(建保5年=1217年4月)にまだ鎌倉にいたところで、実際にはドラマの三善康信と同じく坊主頭で僧の姿だった可能性は高いと思われますね。

 最後に、八田知家や三浦義村(山本耕史さん)のマッチョぶりがネット上で大いに話題となっていましたが、当時あんな筋骨隆々なことは本当にありうるのか?という話もついでに検証しておきましょうか。

 鎌倉時代初期は、京都の貴族や僧侶たちに比べて、武士たちの間では肉食がタブーという感覚はまだ薄かったと思われます。さらに当時は、肉や魚の代わりに別の素材をそれらしく味付けした「精進料理」が鎌倉の武士たちに受け入れられる以前の時期なので、魚肉からのタンパク質の摂取量はかなり高かったと思われます。

 教科書の類に載る坂東武者の食卓のサンプル写真のようなメザシと味噌汁と玄米食だけではなく、実際には野山の獣の肉なども日常的に食べていたことも十分に考えられ、当時の御家人たちのガタイは総じて良く、身長も高かったと思われます。また、鎌倉では、現代でいえばレスリングに相当する相撲なども日常的に娯楽・トレーニングとして行われていたといいますね。

 ただ、坂東武者たちが、本当に市原さんや山本さんのような体つきだったかというと、そうはならないでしょう。現代の彼らの肉体美は、解剖学の知識に則って全身の筋肉を個別に鍛えていった成果だと考えられるからです。史実の八田知家がマッチョだったという記述は例によってないのですが、現代でいう「筋トレ」はさぼりがちでも、自分のやっている競技のトレーニングだけは熱心なタイプのアスリートのような体付きであった可能性はあるとは思います。

 しかし、次回・第43回の相関図から、知家の写真は消えてしまっているのにお気づきでしょうか? 第42回でついに上半身もろ肌ぬぎのセクシー大全開となった知家は、あの隠居宣言をもってドラマから退場なのかもしれません。同じように隠居しているものの暇だと言って姿を見せている二階堂行政(野仲イサオさん)のように、またドラマにも戻ってきてくれるといいですね。まぁ、その時は、第42回に久々に姿を見せたことが本当のラスト出演となった北条時政のように、知家も坊主になっているでしょうが……。

<過去記事はコチラ>

堀江宏樹(作家/歴史エッセイスト)

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『La maquilleuse(ラ・マキユーズ)~ヴェルサイユの化粧師~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『隠されていた不都合な世界史』(三笠書房)。

Twitter:@horiehiroki

ほりえひろき

最終更新:2023/02/21 12:24
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