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歴史エッセイスト・堀江宏樹の「大河ドラマ」勝手に放送講義

『どうする家康』早くも登場、「忍者ではない」服部半蔵と「イカサマ野郎」本多正信の実像

──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ

※劇中では主人公の名前はまだ「松平元康」ですが、本稿では「徳川家康」に統一しております。家康に限らず、本連載において、ドラマの登場人物の呼び方は、原則として読者にとってなじみの強い名称に統一します

 

『どうする家康』早くも登場、「忍者ではない」服部半蔵と「イカサマ野郎」本多正信の実像の画像1
家康(松本潤)、服部半蔵(山田孝之)と本多正信(松山ケンイチ) | ドラマ公式サイトより

 前回の本コラムでは、『どうする家康』第4回で、信長(岡田准一さん)が家康(松本潤さん)に妹・市(北川景子さん)との結婚を勧めてくるのではと予測しましたが、まさかの大当たりでびっくりしています。家康が初恋の人で、兄から提案された祝言に喜んでいるお市の方を、北川景子さんが好演なさっていました。ドラマのお市にとっては、最終的に悲しい結果となってしまいましたが……。

 聞くところによると、『どうする家康』同様に古沢良太さん脚本となる映画『レジェンド&バタフライ』は、織田信長とその正室である濃姫の物語で、「桶狭間の戦い」で信長が見せた独創的な今川義元奇襲作戦も、斎藤道三から戦術指南を受けた濃姫の立案という設定なのだとか。『どうする家康』も、考証スタッフの意見に左右されず、己が描きたいものを描きたいように描く脚本家・古沢良太さんの独断場となっていきそうですね。

 次回・第5回「瀬名奪還作戦」も、時代考証関係者のボヤキが聞こえてきそうな内容になりそうです。公開された「あらすじ」によると、「元康は、駿府に捕らえられている瀬名(有村架純さん)を取り戻そうと決意。家臣たちの反対を押し切り、イカサマ師と呼ばれ嫌われている本多正信(松山ケンイチさん)の妙案に望みを託す。正信は、伊賀忍者の服部一党を使い奪還作戦を立てるが、頭領の服部半蔵(山田孝之さん)は過去の失敗ですっかり自信を失っていて…」となっており、日本史に詳しい方なら「えっ!?」と驚くことでしょう。

 史実の家康は、今川家とゆかりの深い鵜殿長照(うどの・ながてる)という武将が父子で守る難攻不落の上ノ郷城(かみのごうじょう、現在の愛知県蒲郡市)を巧みに攻め落とし、鵜殿父子の生け捕りに成功しました。そして、人質交換という形で今川氏真の捕囚となっていた妻子を取り戻したと伝えられています。

 ここで家康が選択したのが、「夜討ち」という奇襲作戦で、それを主導したのが「忍び」と呼ばれる人々だったということは重要なポイントです。

 鵜殿一族出身で、後に僧となった日翁という人物が江戸時代初期の寛永年間(1624~43)にこの戦を回想した記録(『鵜殿由緒書』)によると、「家康公(略)江州(略)の多羅尾四郎兵衛(たらお・しろべえ、多羅尾光俊)と云ふ大名の元より、忍びの上手を呼び下し」云々とあります。

 この文書における「忍び」の語が指すものは、現代人がイメージするような「忍者」ではありません。家康たち当時の武士は、いわば貴族層で、正規の軍人でもあります。しかし、戦国時代、各地には“半農半武”の人々による自警団が数多く結成されていました。「忍者」の代表格として現在では考えられがちな「甲賀者(こうかもの)」「伊賀者(いがもの)」と呼ばれる集団も、史実ではそういう“半農半武”の人々のことだという理解でよいと思います。

 彼らは身分的にはいわゆる雑兵、民兵にすぎません。しかし、農民に武器を持たせただけの通常の足軽とは異なり、『鵜殿由緒書』で「忍び」と呼ばれたような人々には、一般的な武将たちでは及びもしない驚異的な身体能力や、現代でいえばゲリラ的な戦闘のノウハウがあったと思われます。

 鵜殿父子がこもる上ノ郷城は、巨大な土塁(土を盛って造られた壁)を持つことで有名な城だったので、正面から攻める作戦では犠牲が多く出る危険がありました。それゆえ、家康は機動力に長けた「忍び」たちを、部下のツテをたどって呼び、彼らに協力を求めたのだと考えられます。『どうする家康』のノリからすると、ゲリラ戦術どころか、忍術、妖術入り乱れてすごいことになりそうですが……。

 ここで、家康の上ノ郷城攻めについて記した『鵜殿由緒書』にお話を戻します。多羅尾四郎兵衛が江州の大名だという記述からもわかるように、多羅尾家は甲賀が拠点です。上ノ郷城攻略戦において、本当に活躍したのは、第5回のあらすじにあったような「伊賀忍者の服部一党」ではなく、甲賀の「忍び」でした。

 史実では、家康のために多くの人々が甲賀から駆けつけ、上ノ郷城内に夜闇に紛れて忍び込み、櫓(やぐら)に放火したので、敵方は大混乱に陥りました。その状況に助けられ、家康軍は難攻不落の城を落とすことができたのです。また別の史料では、家康が、甲賀の者たちと交流のある家臣・戸田三郎四郎たちを同地に派遣し、家康の危機を知った伴与七郎や鵜飼孫六など280名もの甲賀の忍びたちが駆けつけてくれた(『改正三河後風土記』)ともあります。いずれにせよ、ドラマで描かれるであろう、忍びの者たちを率いた服部半蔵の活躍というものは史実ではなさそうですね。(1/2 P2はこちら

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