日刊サイゾー トップ > 連載・コラム >  パンドラ映画館  > ヒース・レジャーが最後に見た夢の世界 理想と欲望が渦巻く『Dr.パルナサスの鏡』
深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】vol.50

ヒース・レジャーが最後に見た夢の世界 理想と欲望が渦巻く『Dr.パルナサスの鏡』

parunasasu01.jpgヒース・レジャーの遺作となった『Dr.パルナサスの鏡』。撮影現場でのヒースは、
ヒロイン役のリリー・コールら若手俳優たちにアドバイスを送ったり、
演技がしやすいような段取りを考えるなど、献身的な態度を通していた。
(c)2009 Imaginarium Films, Inc. All Rights Reserved.
(c)2009Parnassus Productions Inc. All Rights Reserved.

 ”映像の魔術師”の異名を持つテリー・ギリアム監督にとっても、渾身のマジックだろう。『Dr.パルナサスの鏡』で主人公トニーを演じたヒース・レジャーは撮影半ばで28歳という短い生涯を終えてしまったが、未撮影だった鏡の世界のパートを、ヒースと親交のあったジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルの3人が演じ分けるという起死回生のミラクル演出によって、希代の名優ヒースの遺作として完成させたのだ。『Dr.パルナサスの鏡』は人間の抱く理想と欲望が二重螺旋となって渦巻く、切なくも美しい夢の世界が繰り広げられる。

 ギリアム監督の『ブラザー・グリム』(05)にヒースが出演して以来、ヒースはオフ中に溺愛するひとり娘マチルダをデイパックに背負って、ギリアム監督宅を訪問するなど公私にわたる交流を結んできた。『ブロークバック・マウンテン』(05)での成功によって超売れっ子になったヒースだが、プライベート上の問題が重なり、ギリアム監督から届いた『Dr.パルナサス』の出演オファーを1度は断るも、その後、自分から直接ギリアム監督のもとに出向いて前言を撤回。「ケータリング係でもいいから参加させてほしい」と頼んだそうだ。

 『Dr.パルナサス』がクランクインしたのは、『ダークナイト』(08)の撮影を終えたばかりの2007年12月。ヒース演じる記憶喪失の青年トニーがパルナサス博士(クリストファー・プラマー)を座長とする旅芸人一座に加わる実写パートのロンドンでの撮影を翌年1月19日に終え、トロントでの特撮パートに備え1週間の撮休に入っていた。悲劇が起きたのは1月22日。薬物の過剰摂取によるヒースの事故死という悲報が世界中に配信された。これまで『未来世紀ブラジル』(85)のエンディングを不本意な形で編集され、『ドン・キホーテを殺した男』(00)は天災に見舞われて製作中止、『ローズ・イン・タイドランド』(05)は母国アメリカで未公開処分に遭うなど様々なトラブルを経験してきたギリアム監督だが、主演俳優であり、自分のイマジネーションを具現化してくれる分身を失った衝撃はかつてないものだったはずだ。

 アンチハリウッドのこだわり派として知られるギリアム監督の窮地を救ったのは、『ラスベガスをやっつけろ』(98)に主演し、ギリアム監督にとってもうひとりの盟友であるジョニー・デップ。『パブリック・エネミーズ』(09)の撮影スケジュールと重なり、わずか1日半しか撮影時間がなかったが、災い転じて名案生まれる。ジョニーだけでは補い切れないパートを、プレイボーイ顔のジュード・ロウ、やさ男顔のコリン・ファレルがそれぞれ違ったタイプの”女性から見た理想のイケメン像”として演じた。このアイデアによって心の中の主観映像は人によってまるで違うものという、より幻覚的なファンタジー映画へと昇華した。また、友情出演を果たした3人のイケメンは、自分たちのギャランティーを2歳になるヒースの娘マチルダにそのまま贈るという美談を残している。あまりにもドラマチックすぎる舞台裏だ。

parunasasu02.jpg主演俳優の急死という非常事態を救ったのは、
『パブリック・エネミーズ』の撮影を控えていた
ジョニー・デップ。ギリアム監督作『ドン・
キホーテを殺した男』(未完成)で美人嫁
ヴァネッサ・パラディと出会ったという恩義を
忘れていなかった。

 もうひとり、舞台裏のエピソードにいい意味でアクセントを加えたのが、トム・クルーズ。ヒースの代役をギリアム監督が探していることをイーサン・ハントばりの情報収集力でキャッチしたトムは自分から出演を申し込んだが、ギリアム監督は「ヒースをよく理解している本当の友だちに演じてほしい」と断っている。トム・クルーズにはなくて、ジョニー・デップたちが持っているものとは何か。ちょっと考えさせる逸話である。会見の場ではコメディ集団『モンティ・パイソンズ』の一員らしくジョーク交じりの発言で明るく振る舞うギリアム監督だが、創作活動においてはどんなに苦しい状況に陥っても譲れない一線があるということだろう。

 『ブラザー・グリム』でマット・デイモンはヒースと兄弟役を演じていたが、マット・デイモンが童顔なこともあって、9歳年下のヒースのほうがむしろ人生経験豊富な兄のように見えてしまう。『アイム・ノット・ゼア』(07)では妻子との実生活と虚構世界に生きる俳優としての軋轢に悩むスター俳優を演じていたが、そこでのヒースも老成した雰囲気を漂わせ、ボブ・ディランの一面を演じているというよりも人生に苦悩し、疲れ切った本人そのものだった。

 ヒースの死因は薬物の過剰摂取による事故死と判断されているが、『ダークナイト』でジョーカー役を演じてから1日2時間しか眠れない不眠症に陥っていたこと、『ブロークバック・マウンテン』で共演した女優ミシェル・ウィリアムズとの間に生まれた娘マチルダの親権を巡って争っていたこと、保険会社は自殺の疑いがあるとして支払いを渋っていることなどが次々とニュースで伝えられた。結局のところ、ヒースがひとりの人間としてどんな苦しみを抱えていたのかは他者には理解することはできない。ヒースは死に損ないの男トニー役を演じながら、人間の潜在意識を具象化する鏡の世界にどんな夢を見出していたのだろうか。

 『バロン』(89)公開時のインタビュー(「キネマ旬報」89年8月上旬号)で、ギリアム監督はこう語っている。「ひどい世の中なら自分の頭の中で作り変えていかないといけない。現実と想像の世界の狭間でボクは常に闘い続けてきた。現実の世界に押し潰されそうになったとき、夢と想像力を使って世界を作り変え、現実に近づいてみるんだ」。ギリアム監督はただの夢想家ではなく、現実社会と闘う武器として映画表現を選び、その同士としてヒース・レジャーやジョニー・デップたちとスクラムを組んできたのだ。

 ヒース・レジャーの抱え込んだ苦しみを100%理解することは不可能だが、現実社会の寒々しさを反映したバイオレンス作『ダークナイト』の撮影を終えた彼が、なぜ1度は出演を断ったギリアム監督作品に出演したのかは、察することはできる。ヒース・レジャーという名優のプロフィールの最後を、ギリアム監督の『Dr.パルナサスの鏡』が飾ったという事実は、あまりに切なく、そして美しい。
(文=長野辰次)

parunasasu03.jpg

●『Dr.パルナサスの鏡』
監督/テリー・ギリアム 出演/ヒース・レジャー、クリストファー・プラマー、ジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレル、リリー・コール、アンドリュー・ガーフィールド、ヴァーン・トロイヤー、トム・ウェイツ 配給/ショウゲート 1月23日(土)よりTOHOシネマズ有楽座ほか全国ロードショー<http://www.parnassus.jp>

●深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】INDEX
[第49回]トニー・ジャーは本気なんジャー! CGなしの狂乱劇再び『マッハ!弐』
[第48回]全米”オシャレ番長”ズーイー、見参! 草食系に捧ぐ『(500日)のサマー』
[第47回]市川崑監督&水谷豊”幻の名作”『幸福』28年の歳月を経て、初のパッケージ化
[第46回]押井守監督、大いなる方向転換か? 黒木メイサ主演『アサルトガールズ』
[第45回]ドラッグ漬けの芸能関係者必見!”神の子”の復活を追う『マラドーナ』
[第44回] 暴走する”システム”が止まらない! マイケル・ムーア監督『キャピタリズム』
[第43回]“人は二度死ぬ”という独自の死生観『ガマの油』役所広司の監督ぶりは?
[第42回]誰もが共感、あるあるコメディー! 2ちゃんねる発『ブラック会社』
[第41回]タラとブラピが組むと、こーなった!! 戦争奇談『イングロリアス・バスターズ』
[第40回]“涅槃の境地”のラストシーンに唖然! 引退を賭けた角川春樹監督『笑う警官』
[第39回]伝説の男・松田優作は今も生きている 20回忌ドキュメント『SOUL RED』
[第38回]海より深い”ドメスティック・ラブ”ポン・ジュノ監督『母なる証明』
[第37回]チャン・ツィイーが放つフェロモン爆撃 悪女注意報発令せり!『ホースメン』
[第36回]『ソウ』の監督が放つ激痛バイオレンス やりすぎベーコン!『狼の死刑宣告』
[第35回]“負け組人生”から抜け出したい!! 藤原竜也主演『カイジ 人生逆転ゲーム』
[第34回]2兆円ペット産業の”開かずの間”に迫る ドキュメンタリー『犬と猫と人間と』
[第33回]“女神降臨”ペ・ドゥナの裸体が神々しい 空っぽな心に響く都市の寓話『空気人形』
[第32回]電気仕掛けのパンティをはくヒロイン R15コメディ『男と女の不都合な真実』
[第31回]萩原健一、松方弘樹の助演陣が過剰すぎ! 小栗旬主演の時代活劇『TAJOMARU』
[第30回]松本人志監督・主演第2作『しんぼる』 閉塞状況の中で踊り続ける男の悲喜劇
[第29回]シビアな現実を商品化してしまう才女、西原理恵子の自叙伝『女の子ものがたり』
[第28回]“おねマス”のマッコイ斉藤プレゼンツ 不謹慎さが爆笑を呼ぶ『上島ジェーン』
[第27回]究極料理を超えた”極地料理”に舌鼓! 納涼&グルメ映画『南極料理人』
[第26回]ハチは”失われた少年時代”のアイコン  ハリウッド版『HACHI』に涙腺崩壊!
[第25回]白熱! 女同士のゴツゴツエゴバトル 金子修介監督の歌曲劇『プライド』
[第24回]悪意と善意が反転する”仮想空間”細田守監督『サマーウォーズ』
[第23回]沖縄に”精霊が暮らす楽園”があった! 中江裕司監督『真夏の夜の夢』
[第22回]“最強のライブバンド”の底力発揮! ストーンズ『シャイン・ア・ライト』
[第21回]身長15mの”巨大娘”に抱かれたい! 3Dアニメ『モンスターvsエイリアン』
[第20回]ウディ・アレンのヨハンソンいじりが冴え渡る!『それでも恋するバルセロナ』
[第19回]ケイト姐さんが”DTハンター”に! オスカー受賞の官能作『愛を読むひと』
[第18回]1万枚の段ボールで建てた”夢の砦”男のロマンここにあり『築城せよ!』
[第17回]地獄から甦った男のセミドキュメント ミッキー・ローク『レスラー』
[第16回]人生がちょっぴり楽しくなる特効薬 三木聡”脱力”劇場『インスタント沼』
[第15回]“裁判員制度”が始まる今こそ注目 死刑執行を克明に再現した『休暇』
[第14回]生傷美少女の危険な足技に痺れたい! タイ発『チョコレート・ファイター』
[第13回]風俗嬢を狙う快楽殺人鬼の恐怖! 極限の韓流映画『チェイサー』
[第12回]お姫様のハートを盗んだ男の悲哀 紀里谷監督の歴史奇談『GOEMON』
[第11回]美人女優は”下ネタ”でこそ輝く! ファレリー兄弟『ライラにお手あげ』
[第10回]ジャッキー・チェンの”暗黒面”? 中国で上映禁止『新宿インシデント』
[第9回]胸の谷間に”桃源郷”を見た! 綾瀬はるか『おっぱいバレー』
[第8回]“都市伝説”は映画と結びつく 白石晃士監督『オカルト』『テケテケ』
[第7回]少女たちの壮絶サバイバル!楳図かずおワールド『赤んぼ少女』
[第6回]派遣の”叫び”がこだまする現代版蟹工船『遭難フリーター』
[第5回]三池崇史監督『ヤッターマン』で深田恭子が”倒錯美”の世界へ
[第4回]フランス、中国、日本……世界各国のタブーを暴いた劇映画続々
[第3回]水野晴郎の遺作『ギララの逆襲』岡山弁で語った最後の台詞は……
[第2回]『チェンジリング』そしてイーストウッドは”映画の神様”となった
[第1回]堤幸彦版『20世紀少年』に漂うフェイクならではの哀愁と美学

最終更新:2012/04/08 23:03
ページ上部へ戻る

配給映画

トップページへ
日刊サイゾー|エンタメ・お笑い・ドラマ・社会の最新ニュース
  • facebook
  • twitter
  • feed
特集

【4月開始の春ドラマ】放送日、視聴率・裏事情・忖度なしレビュー!

月9、日曜劇場、木曜劇場…スタート日一覧、最新情報公開中!
写真
インタビュー

『マツコの知らない世界』出演裏話

1月23日放送の『マツコの知らない世界』(T...…
写真
人気連載

山崎製パンで特大スキャンダル

今週の注目記事・1「『売上1兆円超』『山崎製パ...…
写真
イチオシ記事

バナナマン・設楽が語った「売れ方」の話

 ウエストランド・井口浩之ととろサーモン・久保田かずのぶというお笑い界きっての毒舌芸人2人によるトーク番組『耳の穴かっぽじって聞け!』(テレビ朝日...…
写真