日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > ピース又吉、ラジオで才能発揮?
ラジオ批評「逆にラジオ」弟9回

笑いと文学をつなぐ究極読書芸人の隠れ家的ユートピア『ピース又吉の活字の世界』

 だから又吉の中では、お笑いも文学も、同じ世界の中に含まれる。どちらも人の思考回路が露出した結果であり、それこそが人間そのものを表現しているということに違いはない。又吉にとって、文学は別腹に入れるべき単なる趣味ではない。彼はこの番組の中で、「笑いと文学は密接な関係にある。ほとんど一緒なんじゃないかとさえ思う」と語る。その二つは同等の、そして同種のものなのだ。だからこそ又吉は、文学における笑いを、お笑いと同じく「緊張と緩和」の構造から読み解いたり、敬愛する太宰治の作風について、「ナルシストな自分をさんざん書いて、そのあと転がり落ちるようなオチつけたり」する「お笑い芸人の手法」だと分析することで、世間に蔓延する「文学は暗い」という誤解を鮮やかに解いてみせる。

 とはいえ、この番組の面白さは、そういった又吉の真摯な文学語りのみにあるわけではない。又吉が本の魅力を語ったり、本にまつわるゲストと話をしていく中で、芸人・又吉の根本にある奇妙な感性が、ところどころひょっこりと顔を出してくるのが楽しい。「売れない時代に古本を読みすぎて、新品の本を見たら紙が白すぎて目がチカチカした。僕にとっては日焼けしてる本が常識だった」と反転した価値観を披露し、「太宰はなんていったら怒るかをずっと考えていた時期がある」という謎の(しかしちょっとわかる)妄執を明かし、「バスを降りるとき、たくさん人が乗ってるのに、自分しかそこで降車ボタンを押さないと、『こんなとこで降りる奴はセンスがない』と思われるんじゃないかと思ってしまう」と、期待を越えるスケールの被害妄想を具体的に公表してみせる。又吉は本の魅力のベースにあるのは「共感」の力だと語るが、その先にある生理的な「違和感」というのも、また大きな魅力である。笑いも文学も、「共感」と「違和感」の狭間にできた渦のような場所から生まれる。

 ゲストに訪れた歌人の穂村弘は又吉のことを、「次の瞬間、ものすごいことをこの無表情な人はしてしまいそうな感じがする」「それはもしかしたら、テレビでは映してはいけないようなことかもしれない」と評したが、そんな「共感の向こう側に突き抜けてしまいそうな危うさ」こそがまさに、文学と又吉に共通する最大の、そして不可解な魅力なのだと思う。テレビサイズには収まらない「又吉の世界=活字の世界」は、そのまま「ラジオの世界」にも通じている。
(文=井上智公<http://arsenal4.blog65.fc2.com/>)

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