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カルロス・ゴーン容疑者を勾留する「東京拘置所」は本当に“地獄”か? 日仏刑事司法の比較から考える日本“人質司法”の問題点

第6回 2018年12月、東京拘置所にて勾留続くカルロス・ゴーン容疑者、そして日本の刑事司法は“遅れている”のウソ

 本連載では前回に引き続き、日産自動車のカルロス・ゴーン前会長(64)が金融商品取引法違反容疑で逮捕された事件を取り上げます。今回は、海外で批判の的となっている現在のゴーン容疑者の処遇について、彼の母国のひとつであるフランスの刑事司法を引き合いに出しつつ考察してみましょう。

 ゴーン容疑者は2018年11月19日の逮捕後、東京・小菅の東京拘置所で身柄を勾留されています。これについて朝日新聞は、仏紙「ル・フィガロ」が「まだルノー、日産、三菱の会長だったのに、ひどい拘置所に移された」とし、東京拘置所に死刑を執行する施設があることから「地獄だ」と伝えたことを報道。また日本経済新聞も、「(取り調べ中に)弁護士の立ち会いもできない」(仏「ル・モンド」)、「ゴーン元会長は特に厳しい日本の勾留制度を経験することになる」(仏「レ・ゼコー」)など、ゴーン容疑者の勾留期間や取り調べの環境に対する仏メディアの批判記事を紹介しています。

 仏紙を中心とする海外メディアによるそうした批判に接したとき、おそらく日本人の多くが、「やはり欧米と比べて日本の人権意識や刑事司法は遅れているのだ」と情けなく思ったことでしょう。しかし、その認識は一面的に過ぎるといわざるを得ない。私はパリ第2大学大学院で法社会学を学び、そのため同国における捜査や取り調べについても熟知していますが、法律上の建前はともかく実態として、わが国の刑事司法は、多くの面においてフランスを含む欧米諸国よりはるかに“マシ”だと断言できます。

カルロス・ゴーン氏逮捕のニュースに見入る道行く人々(写真:ロイター/アフロ)24時間で“カタをつける”フランス警察
 まず、批判の集中しているいわゆる“人質司法”の問題について考えてみましょう。わが国では被疑者を勾留できる期間について、刑事訴訟法第208条で「勾留の請求をした日から10日以内に公訴を提起しないときは、検察官は、直ちに被疑者を釈放しなければならない」「裁判官は、やむを得ない事由があると認めるときは、検察官の請求により、前項の期間を延長することができる。この期間の延長は、通じて10日を超えることができない」と定めています。これに、検察官が逮捕した場合に被疑者の身柄を拘束できる48時間を加えることで、同一容疑での勾留期間は最長22日間に及びます(なお、警察官が逮捕した場合には、48時間以内に送検し、身柄拘束は最長23日間。この23日間というのは世界的に見ても標準的な長さですが、今回のゴーン容疑者の件でまさにそうだったように、日本では何度も逮捕してこれを延ばすこともしばしば行われます)。

 しかもこの間、家族や関係者との面会は厳しく制限され、取り調べ中の弁護士の立ち会いも認められていません。わが国におけるこうした被疑者の処遇が、“人質司法”と内外から非難されているわけです。

 それに対し、例えばフランスではどんなシステムになっているか。同国の刑事法では、警察などが被疑者の身柄を拘束した場合、24時間以内に必ず予審判事に知らせるよう義務づけられている。また、被疑者の人権保護のため、取り調べには弁護士が同席できるとされている。仏紙などが報じている通りであり、確かにそこだけを比較すれば、日本よりフランスの刑事司法のほうが、人権意識の高い進歩的なものに見えるでしょう。

 ところが実態はどうか。フランスの警察は、24時間以内の予審判事への報告義務があるとされていることを逆手に取り、身柄拘束から丸一日を「どこにも報告せずに自分たちだけで好き放題被疑者を尋問できる時間」と解釈して“有効活用”している。その24時間で自白に追い込むため、特にテロや殺人などの暴力事犯に対しては、警察官が殴る蹴るの暴行を加えるのは当たり前。少なくとも私の留学していた1980年代まではそうでしたし、フランスの司法関係者に聞く限り、そのあたりは今もたいして変わっていないようです。法律上、逮捕後の正式な取り調べに弁護士が立ち会えるといっても、実はその取り調べが始まる前の時点でほぼカタがついてしまっているわけです。

 しかも、同国の刑事裁判は、警察や検察によるそうした任意の取り調べで得られた自白調書を証拠として採用する判例が確立しているほど、自白偏重の甚だしいのが特徴です。フランス語で「自白する」は“avouer”と書きますが、実はこの単語は、カトリックにおける「告解する」という意味でもある。つまり、司祭に罪を告白して神の赦しを請うという、カトリックの信仰においてきわめて重要な儀礼に擬せられるほど、フランスの裁判では自白というものが重視されているわけです。

 そして肝心のその自白たるや、条文は立派ながら抽象的で曖昧な法のグレーゾーンを巧みに利用することで、しばしば生み出されるもの。これこそ、フランスのメディアが今回の事件に対する攻撃材料として喧伝し、日本のメディアが受け売りする、“人権意識の高い進歩的な国”の刑事司法の一側面なのです。

 

裁判後に死刑に処す日本、その場で“処刑”するフランス
 さらにいうと、フランスでは1981年に死刑が廃止されており、そのことをもって日本より人権意識が高いとする向きもありますが、それもまた皮相的な物言いだと私は思います。というのも、ご存じの通りフランスやアメリカなどでは、ことに犯罪事実がほぼ明らからな凶悪犯については、警察官が有無をいわさず現場で射殺してしまうケースがよくあるからです。2018年12月11日にフランス東部ストラスブールで発生した銃撃テロの容疑者も、裁判にかけられるどころか逮捕されることすらなく、逃走中に警察によってあっさり射殺されています。

 また、そのように被疑者を取り調べや裁判の前に殺す以上、当然ながらその中には、無実の市民が含まれている可能性がある。これはより大きな問題です。実際フランスでは、射殺された者の無実があとから判明するケースがあとを絶たない。そうした警察官による市民の誤射は、“bavure”(「よだれ」の俗語)という呼び名を付けられるほど頻繁に起きているのです。

 それはおくとしても、警察官の手で被疑者を“処刑”してしまうことが、事実上、死刑制度の代替として、市民の処罰感情を満たしている面は確かにある。「死刑がないから人道的だ、人権意識が高い」などとは単純にいい切れないということが理解できるはずです。

「日本は遅れている」は本当か?
 このように見てみると、わが国の刑事司法が、フランスをはじめとする欧米諸国と比べて、少なくとも実質面においては決して立ち遅れてなどいないことがわかるでしょう。むしろ諸外国こそ、犯罪発生率の低い日本から学ぶべきところが多いのが実情といっていいほどです。

 もちろん、だからといって、いわゆる“人質司法”など、日本の刑事司法に見直すべき点がないということにはなりません。ただ、東京拘置所におけるゴーン容疑者の処遇などについて海外メディアの報じていることがそのまま正しいわけでない、ということだけははっきりと指摘しておきたい。日本のメディアも、欧米から強く主張されると無批判に受け入れてしまう悪い癖をそろそろ直すべきではないでしょうか。

 次回は、なぜゴーン容疑者がカリスマ経営者の座から転落してしまったのかについて、その人物像や時代背景を眺めつつ考察したいと思います。

最終更新:2018/12/22 07:15
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