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グローバル市場でヒットする非ボリウッド映画、ココイチの本場進出……世界を「環流」するインド文化の現在

国外居住者のサリーが国内に影響を与える

――映画がそうであるように、インドでは地域ごとに文化的な特色が違うと本にありましたが、音楽に関する記述も意外に感じる動向が紹介されていました。岡田恵美さん(国立民族博物館人類基礎理論研究部准教授)の「インド北東部ナガランド州にみるローカリティの再創造 ポピュラー音楽振興政策とフェスを通じて『つながる』ナガの若者たち」によると、ナガランドではボリウッド映画や映画音楽の消費は非常に小さく、韓国ドラマや韓国映画、ロック、ブルース、K-POP、J-POPのほうが好まれていて、ナガの人たちはボリウッドには異質性を感じる一方、欧米や東アジアのポピュラー文化には親近感を覚える、と。

松川 ナガランドはインド国内でもオリエンタルでエキゾチックな民族衣装を着ている人の多い地域と認識されているんです。でも、一方ではロック・フェスティバルを開催し、若者文化を押し出していこうとしている。本の中では、山本達也さん(静岡大学人文社会科学部准教授)がチベット難民の人たちによる「チベタンポップ」のレコーディングについての論文を書いています。彼の調査によると、それに携わっているミュージシャンたちはジェニファー・ロペスなどを聴いているそうで、インドや南アジアでもミュージシャンたちはグローバルな動向にアンテナを張っています。

 もちろん、インド全体で見ればボリウッド人気は根強く、インドのMTVではずっとインド映画の歌が流れていますから、映画のプレイバックシンガー(踊りのシーンでバックに流れる音楽を担当する歌手)を目指す人も多いです。最近はソヌ・ニガムのように個人としてアルバムを出して名前も売れている歌手も出てきていますが、視聴者参加型のオーディション番組、ダンスコンテストの多さにもインド映画の影響力の大きさは見えますね。もともとインド古代の演劇理論書に、演劇とは歌と踊りを含んだものとの記述があり、それをベースとした演劇や民俗芸能からインド映画は発生しています。ですから、観客もそういう側面を期待していますし、特にダンスは裾野が広く、古典舞踊のバラタナーティヤムやカタックを習っている人も多いわけです。

――地域文化の多様性との関係でうかがいたいのですが、インド国外にいるインド人(NRI)市場を念頭に置いて作られる新しいタイプのサリーは特定の地域に還元されないファッションになっていて、「NRIサリー」としてインド国内でも人気を博している、とありました。ということは、もともとは地域に対する所属意識が強い人が多いけれども、インドの外に出ると「インド人」というナショナル・アイデンティティのほうが強まるということですか?

松川 そうですね。杉本星子さん(京都文教大学総合社会学部教授)の書籍『サリー! サリー! サリー! インド・ファッションをフィールドワーク』(風響社)に詳しいですが、今あるサリーのイメージはインド独立運動のときに形成されたものです。NRI、中でもアメリカ在住の人たちは自分の子どもにインド文化を継承してほしいという願いを持つようで、そこで象徴としてサリーが身につけられる。けれども、そのときファッション性も付与される。そして、それがインド国内に逆に影響を与えるようになった。今ではFabindiaのようにミドルクラス向けのオシャレで手頃なブランドもあって、海外展開もしています。

グローバル市場でヒットする非ボリウッド映画、ココイチの本場進出……世界を「環流」するインド文化の現在の画像3
Fabindiaのホームページより。

真に正しいインド文化は存在しない

――NRIサリーの事例が象徴的ですが、『世界を環流する〈インド〉』ではインド国外に住むインド人(NRI)の存在がマーケットとして大きく、また、その動向がインド国内にも影響を及ぼしていることが書かれ、インドと国外に住む非居住インド人コミュニティなどとの双方向的な関係を「文化の環流」ととらえながら、さまざまな論が展開されていきます。つまり、我々がイメージする「インド」はインドから一方的に発信されたものではない。受け手側の需要や思惑との相互影響的な関係にあって、そのせめぎ合いの中で再帰的に決まっていると。例えば、多民族・多文化国家であることを対外的にアピールしたいマレーシアでインド舞踊が公的な場で演じられるときには、もともとあったヒンドゥー教由来の宗教色を脱色したものが提供される、といったように。だから、誰が「インドっぽいもの」を求め、どういう思惑で作り手がそれを提供しているのか、ということに意識的になると、インド発の映画や音楽に触れる際にまた違って見えてくるように感じました。

松川 芸能の消費者側が演者にイメージを押しつけているだけでもないんですね。インドの人たちはしたたかですから、「とにかく生き抜いてやろう」という心意気が見られます。例えば、田森雅一さん(愛知大学国際コミュニケーション学部教授)の論文「越境し環流する音楽文化 フランスでのインド伝統音楽の再帰的グローカル化」を読むとわかりますが、インド出身のミュージシャンが地元(故郷)の音楽の伝統を活かしながら、しかし消費する欧州のオーディエンスの意図を柔軟に読み取って、ワールド・ミュージック市場の中で生きていく。

 芸能に限らず、例えば日本のインド料理店にしても――最近はネパール人が始めることが多いですけれども――ナンに力を入れていますよね。しかしインドの普通の大衆食堂では、ナンではなく薄く焼いたチャパティを食べますから、あれは日本に合わせたローカライズなわけです。あるいは逆に、ココイチ(カレーハウスCoCo壱番屋)がインドに進出する、つまりインドからイギリスを経由して生まれた日本のカレーが本家に輸出される。これも環流の流れです。

 ヨーガの実践者もそうですね。日本でヨーガ教室を主宰している方にインドで学んだときの経験をうかがったことがありますが、同様に海外から来ている人もたくさんいたそうです。そこではインドの伝統を踏まえたものを学ぶのだけれども、同時に海外の人たちが「これがインドだ」と感じるものも採り入れられている。

――ヨーガのときのリラクゼーション音楽としてグローバルに定着した、インドの宗教音楽キールタンを実践する欧米のミュージシャンを論じた小尾淳さん(大東文化大学国際関係学部助教授)の論文「インドの宗教歌謡キールタンの影響 宗教実践とポピュラー音楽の間」などを読むと、「本来持っていたものが薄まって国際的に広まった」面もあるものの、それだけだと否定的にとらえるのは誤りで、広がった入り口から深くハマるインド国外の実践者もいたりと、さまざまな混淆と変容が見られるのが興味深かったです。

松川 文化人類学では「真正性」の問題として議論されるのですが、実際は「真に正しい文化」なんて「ない」ですよね。「文化の流用」という話も昔から文化人類学ではよく出ていますが、かつては、例えば「インドから日本に来て、どう変わったのか」というところで議論が止まっていた。そこに杉本先生などが「環流」という枠組みを唱え、今回の本では「行って帰って、さらに流れていく」という3方向にまで概念を拡張していきました。伝統や真正なるものを私たちは求めるけれども、実際にはインド的なるものは個々の音楽家や舞踊家、デザイナーなどの活動の解釈の中で生まれています。

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