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「どこまで行ったら復興なのか?」はゴールのないマラソン

『ねほりんぱほりん』3.11の11年後だから振り返られた、“復興活動から離れた理由”

『ねほりんぱほりん』3.11の11年後だから振り返られた、復興活動から離れた理由の画像1
『ねほりんぱほりん』(NHK Eテレ)Twitter(@nhk_nehorin)より

 先週の3月11日に『ねほりんぱほりん』(NHK Eテレ)が放送された。一昨年の3月11日に同番組が取り上げたのは「震災で家族が行方不明の人」だったが、今回のテーマは「復興活動から離れた人」である。

 すごい角度だ。あえて“離れた人”に焦点を当てているのは、この番組ならでは。こんなテーマが扱えるようになったのは、震災から11年が経ったからかもしれない。

「どこまで行ったら復興なのか?」というゴールのないマラソン

 1人目のゲストは、福島県出身のマドカさん(30代)。震災当時、彼女は地元でイベント企画の仕事をしていた。その年の夏、国はオフィスや工場に節電をお願いする企画を実施し、そこで福島を担当したのがマドカさんだった。つまり、彼女は“国側の人”と見なされ、行く先々で「他にやることあるだろ!」「みんなに10万円配りなさいよ!」と怒鳴られたのだ。いわゆる、板挟み。マドカさんは「こんなの、やってる意味ないな」と会社を退職、東京のイベント会社へと転職する。

「最初に連れて行かれた打ち合わせが福島第一原発関係のメーカーで、『復興イベントやりたいよね~』みたいな感じで。『できれば、東北でやりたいよね~』『でも、ウチ福島じゃ無理ですよね~。ハハハ!』みたいな。テンション的にはすごい軽くて。その会議の中に1週間前に福島からやって来た人がいるって思ってないんですよ」(マドカさん)

 何よりもまず、東電傘下の企業が「復興イベントやりたいよね~」のノリでいることが地獄だ。被災者がいる前で「福島じゃ無理ですよね~」の言い草は殺意を覚えても仕方がない。彼女と他の出席者の間にあるテンションと意識の溝。地元の人と、離れた場所で生きる人との温度差である。

 マドカさんは「もっと福島のためになることがしたい」と、その会社も退職。福島に帰り、「県外の人たちが福島に触れやすくなるきっかけを作りたい」と商品のパッケージを作る会社を地元で起業した。スゴい行動力だ。そんな中、大手広告代理店ととあるキャッチコピーを考える機会が訪れた。しかし、相手の考えるコピーがどうしてもしっくり来なかった。

「『1回、福島に来てほしい』ってお願いしたんです。そう言ったらすぐに来てくれて、いろんなところをご案内して。そしたら、帰ってから書いたコピーがものすごく素晴らしくて。その方も『福島に行かなかったら書けなかった』って言ってくれたし、伝わったなあって」(マドカさん)

 現地の状況を知らないでコピーを作るのも驚きだが、確かに当時は「絆」を押し出す文言ばかり世に溢れていた。実際に現場を見て知ることは大事、百聞は一見に如かずである。

 さらに、彼女は他の活動も手掛けるようになった。若者の声を聞くイベントを企画し、福島の情報発信を始めたのだ。そこで集まったのは「結婚の約束をしていたけど、『福島出身だから』と破談になった」という声であった。考えられない偏見だが、当時の風評被害は本当にひどかった。SNSでは福島産の食べ物を敬遠したり、東北産だからとセシウムと関連付けて事実以上に危険視する書き込みが多く見受けられた。漫画『美味しんぼ』では、福島に行った山岡士郎が鼻血を出すシーンまで描かれた。

「自分も不安だったけど、年下の子たちが『これからどうなっていっちゃうんだろう』『ここで暮らしていいのかな』とか、そういう不安を抱えるこの社会って何なのって思って。これはもう国を変えないといけないと思ったんですよね」(マドカさん)

「国を変える」という決意は素晴らしい。でも、よほど鋼の心を持っていないとその熱を維持するのは大変である。そんなマドカさん、以前は自他ともに認めるパリピだったそう。志が高いと思いきや、「イエーイ!」と毎晩飲み歩く生活を送っていたから驚く。でも、腑に落ちる。この行動力はパリピならでは。仕事の合間を縫って若者の声を聞いたり、復興をテーマにしたトークイベントに出席していた彼女は、いつしか注目され始めた。それは、決してマドカさんが望む展開ではなかったが……。

「だんだん、ちょっと重荷になってきて。もともと私パリピなのに、“復興のリーダー”とか言われちゃうし。『そんなつもりないんだけどなぁ』っていうことが増えてきて。Twitterを見てると『またマドカかよ、もうお腹いっぱい』『痩せろ』とか書かれてたり」(マドカ)

 メディアの作りたいストーリーに利用され始めたマドカさん。Twitterに書かれるくらいなのだから、彼女は有名人なのかもしれない。マドカさんは次第に心が折れ始めた。「国を変える」を志に、投票率を上げる目的で若者が気軽に政治の話を交わせるイベントを開くなど奮闘したものの、投票率はほとんど変わらず。加えて、会社経営、ボランティア、被災地ツアーなど日々の活動は多岐にわたり、彼女は明らかにオーバーワークだった。

 そして、震災から5年経ったある日。彼女は会社に行けなくなってしまった。車で会社に到着するも、そこから車を降りることができなかったのだ。ただただ涙がこぼれ続け、気付くと辺りは夕方になっていた。

「ゴールがないっていうか、どこまで行ったら復興なのかっていうのがわかんなくなってきた時期だったんですよね……」(マドカさん)

 彼女が口にしたのは、「ゴールが見えない」ではなく「ゴールがわからない」という言葉だった。どこまで行けば「復興」と言えるのか? 復興の定義を考えると、難しい。震災から11年経ったが、今も復興したかどうかはわからない。「ここまで来たから復興を果たした」という段階などないからだ。ただでさえ、地方は過疎化が進んでいる。震災以前の状態に戻るのは、現実問題として難しい。そんな状況で奮闘するマドカさんは、出口の見えない森を歩く感覚だった。ゴールがないと人はモチベーションを保てない。政府もメディアも復興のゴールは設定しておらず、関わる人は“ゴールのないマラソン”を走っている。頑張れば頑張るほど底なし沼に落ちていく。「どこまで行ったら復興なのか?」というマドカさんの問いかけは、リアルであり重い。

「調子が悪くなったことを仲のいい友だちにしか言えなかったんですよ。そしたら、仲のいい友だちも私にすら言えなかったって。結構な人数が鬱になって潰れちゃってたんです」(マドカさん)

 弱音を吐けなかった理由は、いくつかあると。まず、「復興しよう!」と意識を高める中で、知らず知らずに弱音を吐けない立場に追い込まれていたこと。あと1つ、周囲にいる者が何らかの形で傷付いていたら、それを承知で「助けて」と声を上げられないことも挙げられるだろう。弱音を吐くには、そのSOSを受け止められる元気な人の存在が不可欠だ。

 その後、マドカさんは鬱病と診断され、仕事とボランティアをやめて福島を離れた。いや、繰り返すが「ここまで来たら復興は完了」という段階はない。だから、途中で投げ出したかのように「離れた」という言葉を使うのは、罪悪感を与えるだけな気もする。

山里  「離れてみていかがでした?」
マドカ 「最高でした。自分でも気付いてなかったんですけど、福島にいるときは常に『誰かに見られてるかもしれないなあ』と思って気を張ってたんですね。でも、今は本当にダルダルの格好で買い物に行けるんですよ」

 マドカさんが告白したのは、マスコミに取り上げられたために引き際が見えなくなった底なし沼だ。自発的に行うのがボランティアのはずなのに。

山里  「これから復興に関わっていこうっていう可能性は?」
マドカ 「やっぱり、今活動している方たちの動向は気になるし、会いたいなあっていう気持ちもあるんだけど、『ああ、でもやっぱりまだ会えないかも』って思ったり。離れちゃった罪悪感が……」

 離れちゃった罪悪感。考えさせる言葉である。

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