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歴史エッセイスト・堀江宏樹の「大河ドラマ」勝手に放送講義

『どうする家康』最初の側室「お葉」=西郡局が登場! 史実では家康に信頼されていた?

──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ

※劇中では主人公の名前はまだ「松平家康」ですが、本稿では「徳川家康」に統一しております。家康に限らず、本連載において、ドラマの登場人物の呼び方は、原則として読者にとってなじみの強い名称に統一します

 

『どうする家康』最初の側室「お葉」=西郡局が登場! 史実では家康に信頼されていた?の画像1
家康(松本潤)と本多正信(松山ケンイチ) | ドラマ公式サイトより

 『どうする家康』第9回は、松山ケンイチさん演じる本多正信の存在が光りましたね。正信はかつて幼なじみの少女が戦の中で連れ去られており、後年、偶然再会を果たすも、遊女に身を落とした幼なじみは「この世は苦しみばかり」と言って阿弥陀仏にすがりながら息を引き取った……という悲劇を経験をしていたためか、寺内町や信徒を救いたいという願いがありながらも、どこか冷めて、虚無的な一面もあるように見受けられました。

 そんな正信は、「毎日たらふく飯を食い、己の妻と子を助けるために戦をする」家康(松本潤さん)のことを「大たわけ」と一喝します。「殿が……お前が民を楽にしてやれるのなら、だ~れも仏にすがらず済むんじゃ」「己のそれ(=領主として期待される仕事)をなさずして、民から救いの場を奪うとは何事じゃ」という正信の正論に、家康は言い返すこともできませんでした。

 死を覚悟するも処刑されることはなく、岡崎からの追放という処分となった正信は、命だけは助けられたことへの礼のつもりなのか、戦で破壊された(本證)寺を元に戻すという空誓上人(市川右團次さん)との約束を体よく反故にするための口実に悩む家康に、「寺があった場所は元の元は野っ原なり。元の野っ原に戻~す!……でいかがかな」と驚きの提案をしていました。史実でも、停戦後に本證寺の建物は家康の命令で破壊され、更地にされてしまうわけですが、それが本多正信の提案だとするドラマの設定には恐れいりました。やはり『どうする家康』の正信は一筋縄ではいかない人物のようです。

 戦で家族を殺され、連れ去られる少女を見て、少年時代の正信同様、心を痛めた方も多いでしょう。「地獄」だという声もネットにはありました。しかし戦国時代において、最大の戦利品は「人」なんですね。戦が長引いたり、疫病が流行ったり、飢饉が起きれば、農民たちの頭数は一気に減ってしまいます。労働力を失うと国力が削がれるため、「義」を掲げた上杉謙信のような武将ですら、戦のたびに敵領から人盗りを行い、最低限の人民を確保していたのです。今の世で例えるならば、野山に咲く花を取ってきて自分の庭に植え付けるように、人間を掠奪することが当時は横行していたわけで、戦国の世は実にハードな時代であったことがわかると思います。そのため、正信の幼なじみのような少女は実際には見知らぬ土地に連れて行かれ、一般的な農民より酷い扱いで働かされる農奴として強制労働に従事する日々が待っていたのではないかな……などと考えてしまいました。ドラマの彼女は、そういう生活が耐えられず、命からがら連行先から逃げ出し、遊女になるしかなかったのかもしれませんね。

 さて、第9回で一向一揆編は終了し、次回・第10回は「側室をどうする!」というタイトルどおり、家康の側室問題がクローズアップされるようです。しかし、西郡局(にしのこおりのつぼね)まで登場するのか……と正直なところ、驚きました。

 確かに記録上、彼女は家康初の側室なのですが、どうやら映像作品で取り上げられるのは『どうする家康』が初めてのようですね。第10回の「あらすじ」によると、家康の母・於大(松嶋菜々子さん)が夫婦の間に子が少ないことを心配して側室を迎えるよう訴え、「不愛想だが気の利く侍女・お葉」(北香那さん)こと西郡局が選ばれたという流れになるようです。ドラマでは、家康と瀬名(有村架純さん)の夫婦仲は良好なままですが、史実では、家康と瀬名の関係は悪化していたとみられ、それゆえにこれ以上の子どもの誕生が期待できず、側室が必要という声が家中で大きくなり、ついに西郡局が側室に迎えられた……というあたりではないでしょうか。

 徳川将軍の女性関係についての史料の中で、もっとも信頼性が高いとされる『以貴小伝』には「築山殿」こと瀬名姫と家康の関係悪化についての言及はないものの、『幕府祚胤伝』という史料には、岡崎城の近辺に彼女が住んでいたと考えられる築山(つきやま)と呼ばれる遺構が(複数)あると語られています。ドラマの瀬名は「岡崎城近くの築山に、民の声を聞くための庵を開いた」とのことですが、史実の瀬名姫こと築山殿は、岡崎城で家康と同居したくないがあまり、さまざまな建物を回っていたのかもしれません。

 『柳営婦女伝系』では「築山殿生(=性)質邪佞」つまり、築山殿は生まれつき性格が邪悪だったと書かれていますが、これも「神君・家康公が苦労して、彼女たちを岡崎に引き取ってやったのに、築山殿ときたら夫と同居したがらず、ヘソを曲げたままの悪女だった」という、後世の家康びいきの評価が反映されているのかもしれません。(1/2 P2はこちら

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