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深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】vol.58

現代に甦った”梶原一騎ワールド”韓流ステゴロ映画『息もできない』

iki01.jpgゴロツキ男・サンフン(ヤン・イクチュン)と女子高生ヨニ(キム・コッピ)との傷だらけの青春。監督も兼ねたヤン・イクチュンは自宅を売却し、リハなし、リテイクなしというギリギリの撮影環境で『息もできない』を撮り上げた。

 日本での公開タイトルは英題『Breathless』を訳した『息もできない』となっているが、ヤワな韓流恋愛映画と勘違いしてはいけない。韓国での原題は『トンパリ』、日本語に訳すと『ウンコバエ』だ。主演と監督を兼ねたヤン・イクチュンの男臭い体臭がぷ~んとスクリーンから漂ってくる。トイレの水洗化とユニットバスが普及して以来、日本では久しく嗅ぐことのなかった強烈な刺激臭なのだ。あまりに濃厚なこの男臭さに、客席で観ているうちに次第に息苦しくなってくる。

 『息もできない』の主人公サンフン(ヤン・イクチュン)は借金の取り立て屋。酒やギャンブルに溺れる借金まみれのビンボー人たちは、自分自身の不甲斐なさを妻や子どもたちにDVという形でぶつけるしか能がないサイテーの存在だ。サンフンはそんなサイテーのウンコ野郎どもを殴りつけて、お金をむしり取っている。ウンコなしでは生きていけない、ウンコバエというわけだ。

 自分の中に渦巻く怒りのエネルギーを制御する方法を知らないサンフンは、街で女に手を挙げる男にも殴りかかる。女を助けたわけではない。黙って殴られていた女に対しても「殴られてばかりでいいのかよ」と殴りつける。さらに借金の取り立てを手伝う若い衆もボコボコにする。サンフンは敵からも味方からも嫌われる、社会の鼻つまみ者だ。借金取り立ての元締めであるマンシク(チョン・マンシク)だけはサンフンと少年時代からの不良仲間という理解者だが、「お金を貯金しろ。父親に孝行しろ」というマンシクの助言にサンフンは耳を貸そうとはしない。

 サンフンにとっては、殴ることと罵声を浴びせることだけが唯一のコミュニケーション手段なのだ。サンフンは幼い頃、父親のDVが原因で妹と母親を失っている。サンフンは家庭の温かさを知らない。サンフンがビンボー人を殴りつけるのは、刑務所に送られた父親への復讐であるのと同時に、妹と母親を守れなかった自分自身への責苦なのだ。除夜の鐘は人間が持つ108の煩悩を解き放つというが、サンフンはDV男を殴れば殴るほど、煩悩が増していく。それでもサンフンは殴り続けるしかない。それだけが、サンフンが生きている証だからだ。

iki02.jpg年下のヨニに対して不思議と素直にな
ることができるサンフン。幸せになるこ
とに臆病だったサンフンだが、ヨニの
ために今までの自分の生き方を変え
ようと決意する。

 女子高生ヨニ(キム・コッピ)とはサイテーの出会い方をする。サンフンの吐いたツバが、たまたま通りかかったヨニにかかり、止せばいいのにヨニはサンフンに食ってかかる。容赦なく鉄拳を振るうサンフン。しかし、気の強いヨニも殴り返してきた。お互いに言葉では表現できない怒りと哀しみが混然となった衝動が己の拳となって、このときクロスしたのだ。この瞬間、サンフンは動物的嗅覚で年下のヨニに自分と同じコドクな影を嗅ぎ取る。ヨニも不器用な生き方しかできないサンフンに母性愛に近いものを感じる。このシーンを観て、観客はうなずく。あぁ、この映画は暴力で奏でられるロマンスなのだなと。

 エンドロールに”原作/梶原一騎”というクレジットが流れるのではないかと、最後まで目を凝らして見入ってしまった。金と暴力で彩られた裏社会、体を張ることしか能のないバカ男の柄にもないセンチメンタリズム、コドクという名の絆で結ばれた男と女の純愛ストーリー、泥水をすすって生きてきた男同士の寡黙な友情……。『タイガーマスク』『あしたのジョー』『愛と誠』など昭和を代表する名作コミックの中で、原作者・梶原一騎(1936~87)が繰り返し繰り返し描いてきた世界が、75年生まれの韓国俳優ヤン・イクチュンの手によって蘇ったのだ。

 ヤン・イクチュンが梶原作品を読んでいたかどうかは定かではないが、『息もできない』を観た人は、さまざまな作品を思い浮かべるはずだ。北野武の監督デビュー作『その男、凶暴につき』(89)を連想する人もいれば、金子正次の遺作『竜二』(83)を思い出す人もいるに違いない。韓国国立映画アカデミー出身のエリートたちが主流を占める韓国映画界の中で、インディペンデント的活動を続けてきたヤン・イクチュンは自宅を売り払い、借金を背負って本作を撮り上げている。無名俳優が集められた撮影現場では打ち合わせやリハはなし、撮影は一発勝負。その鬼気迫る情念が、『その男、凶暴につき』や『竜二』といった日本のヤクザ映画の放つ緊迫感と共鳴するのだろう。

 本作の舞台となっているのは、”タルトンネ(月の街)”と呼ばれるソウルの丘陵地帯に広がる貧民街。”月の街”という呼称の由来は、屋根が壊れて月が眺められるほどのアバラ屋が立ち並んでいたから。ソウル五輪(88年)前後に再開発され、タルトンネも外見上はこぎれいな街に変わったとされている。しかし、表面上は美化されても、狭い家の中で怒鳴り、殴り合う家族ゆえの親近憎悪はそう簡単に浄化されることはない。サンフンは刑務所から出てきた老いた父親を殴る蹴るという手荒い方法で出迎える。

 一方、ヨニの父親はベトナム戦争(65~75年)に従軍し、わずかな恩給の代償として記憶障害を患って帰ってきた。戦後の日本は朝鮮戦争(50~53年)をきっかけに高度経済成長が始まったわけだが、韓国もベトナム戦争を踏み台にして”漢江の奇跡”と呼ばれる経済成長を遂げている。梶原一騎が高度経済成長の裏で、その恩恵にあずかれない不器用なアウトローたちの哀歓を描き続けたように、ヤン・イクチュンも『息もできない』の中で近代化が進む現代社会において器用に立ち振るえないトンパリな人々を活写している。

「クソみたいな気持ちを自分の中に抱え込んでいたので、それを全部映画にぶつけようと思った」(「映画芸術2010年冬」)というヤン・イクチュン。本作が韓国でヒットし、今はゆっくりと充電中のようだ。梶原一騎の不朽の名作『あしたのジョー』を映画化するなら、彼に撮らせたほうがいい。日本社会がすっかり忘れてしまった息苦しく重たい情念を、ヤン・イクチュンは今も体内に抱え込んでいる。
(文=長野辰次)

iki03.jpg
●『息もできない』
製作・監督・脚本・編集・出演/ヤン・イクチュン  出演/キム・コッピ イ・ファン、チョン・マンシク、ユン・スンフン、キム・ヒス、パク・チョンスン 配給/ビターズ・エンド、スターサンズ 3月20日(土)より渋谷シネマライズほか全国順次ロードーショー
<http://www.bitters.co.jp/ikimodekinai>

地獄からの生還

波乱万丈。

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最終更新:2012/04/08 23:02
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