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深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】vol.55

ビグロー監督はキャメロンより硬派! 人間爆弾の恐怖『ハート・ロッカー』

hr.jpgこの世で最も危険な職務である”爆発物処理班”の苦闘を描いた『ハート・ロッカー』。
後半の”人間爆弾”をめぐるシーンの緊張感は尋常ではない。
(C)2008 HURT LOCKER, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

 視聴率のテコ入れのために作品賞のノミネート数が一気に倍増となったアカデミー賞(2月7日に授賞式)。数字の代わりにノミネートされる重みが半減された形だが、視聴率に一喜一憂するアカデミー賞関係者たちを尻目に、常に骨太なアクション映画を撮り続けているのが、キャスリン・ビグロー監督だ。8年ぶりとなる『ハート・ロッカー』はノンスター映画ながら、作品賞の最有力作品と目されている。ハート・ロッカー(Hurt Locker)とは”行きたくない場所/棺おけ”を意味する兵隊用語。イラク戦争でバグダッドに駐留する米軍爆発物処理班の苦闘をドキュメンタリータッチで描いたものだ。

 作品賞&監督賞を競う『アバター』のジェームズ・キャメロン監督にとって、ビグロー監督は3番目の妻。彼女の才能に惚れ込んで結婚したキャメロンだが、仕事においても恋愛においても妥協なしのキャメロンは『ターミネーター』(84)、『ターミネーター2』(91)のサラ・コナー役のリンダ・ハミルトンとデキてしまい、ビグロー監督との夫婦生活は89~91年のわずか2年間で終わっている。しかし、ビグロー監督作品は、戦争&パニック超大作を得意とするキャメロン以上にどれも見事なまでに骨太で男臭い。ヴァンパイアものに西部劇テイストを注入した『ニア・ダーク/月夜の出来事』(87)で人気を博し、蜜月時代のキャメロンがプロデュースした『ハートブルー』(91)は、おとり捜査官と銀行強盗犯との奇妙な友情を描いた傑作刑事ドラマ。パラシュートなしでのスカイダイビングシーンは、観ている側のアドレナリンも噴き出してしまう。実在の原潜事故を題材にした『K-19』(02)では、放射能漏れを起こした原子炉を被爆覚悟で修理する乗組員たちの男気に心臓が鷲掴みとなった。

 ビグロー監督は身長180cmを越えるクールな美女。「女流監督ながら、すごいですね」的な質問を記者がすると、「映画監督という職業に男も女もありません」と一喝するのがお約束となっている。キャメロン作品には毎回のようにタフなヒロインが登場するが、現場で一切の迷いなくテキパキとディレクションするビグロー監督は、まさにキャメロンにとって”理想の女性”だったのだろう。キャメロンと離婚した後も、キャメロン脚本&製作の『ストレンジ・デイズ』(95)を監督として撮り上げるなどビジネスパートナーとしての関係を続けた。仕事とプレイベートを分けられるところも、タフではないか。

 キャメロンと切れてから、徹底的に取材を重ねて完成させた社会派サスペンス『K-19』で確かな手応えを感じたようだ。『K-19』は旧ソ連時代の闇に葬られた人為的事故を米国人キャスト&スタッフで再現したものだったが、今回の『ハート・ロッカー』はイラクで現地取材したマーク・ボールを脚本家に起用し、米国人にとって今なお現在進行形の問題であるイラク戦争を題材に取り上げた。撮影地にはイラクの隣国ヨルダンを選び、灼熱の砂漠でのロケを含め44日間にわたる撮影を敢行。『K-19』をよりドキュメントタッチに進化させた。

hr02.jpgヨルダンの灼熱砂漠で現場を指揮したキャスリン・
ビグロー監督。米軍の捕虜兵を演じた現地のエキス
トラは、実際に米軍の捕虜経験のあるイラク人が
選ばれるなど戦場をリアルに再現している。

 『ハート・ロッカー』は2004年のイラクが舞台。2004年といえば、日本人人質事件が4月、10月と2度にわたって起きた血にまみれた年だ。爆発物処理班は常に死と隣り合わせ状態の最も危険な職務であり、街のあらゆる場所に隠された即席爆発物を解除する作業に集中している最中にも、廃墟に身を隠した敵兵から狙撃される可能性が高い。また、いつ爆弾を満載した自動車が猛スピードで突っ込んでくるか分からない。さらに爆発物処理班を悩ませるのが、”人間爆弾”だ。全身にTNT火薬を巻き付けたイラク人が叫ぶ。「助けてくれ! オレはゲリラじゃない。無理矢理に巻き付けられたんだ」。

 爆死した前任者の後任として、ブラボー中隊に新たに爆発物処理班の班長・ジェームズ二等軍曹(ジェレミー・レナー)が配属される。ジェームズの平常心は、毎日10回、20回……と続く爆破のお陰でとっくの昔にどこかに吹き飛んでしまっている。セラミックプレート入りの防護服はモビルスーツばりにいかついが、爆風の衝撃を和らげてくれるだけで生命を保障してくれるものではない。リモコン操縦の爆弾処理ロボットも、バリアフリー状態ならともかく、瓦礫の山の戦場では大した役には立たない。「どうせ死ぬなら、気持ちよく死にたい」とジェームズは防護服を着ないまま爆弾の解除に取り掛かる。これまで細心の注意を払って生き延びてきた古株兵サンボーン(アンソニー・マッキー)にしてみれば、新しい上司ジェームズの命知らずの行為はたまったものではない。勇敢な英雄どころか、部隊を丸ごと地獄へ誘う死神にしか見えない。除隊までの残り1カ月、当たりくじを引き続けることを願うばかりだ。

 『ハート・ロッカー』が最後まで緊張感を保つことに成功した大きな要因は、スター俳優を起用しなかったことだろう。日本の2時間ドラマなら、オンエアを見なくとも新聞のラテ欄の3番手か4番手の実力派俳優が真犯人であることが予測できる。シルベスター・スタローン主演の戦争映画も、スタローンが途中であっさり死ぬことはない。その点、『ハート・ロッカー』の登場キャラクターたちは、いつどこで誰が犬死にするか分からないというハラハラ感が持続する。ビグロー監督の『ストレンジ・デイズ』に主演したレイフ・ファインズも民間企業から派遣された傭兵役で出演しているが、ゲスト俳優に花を持たせるといった演出にはなっていない。正規の軍人でない彼もまた敵兵の銃弾や爆弾にいつ倒れるか分からないのだ。

 同胞たちを守るため、そしてバグダッドの治安を守るため、命を張って任務に向き合う彼らだが、辛うじて米国に帰還できたとしても報われることはない。リミッターを外した過剰な体験を戦場で重ねたため、帰国しても一般社会に適応できなくなってしまうのだ。生きるか死ぬかのギリギリのボーダーラインをさまよった彼らは、いわば彼岸からの生還者。家族のいる故郷に戻っても、そこで待つ日常生活はあまりにも単調すぎる。まるで生きた屍”リビング・デッド”のような日々を過ごすことになる。死を覚悟して戦友たちと生き抜いた戦場での日々と、家族から腫れ物に触るような扱いを受ける祖国での生活。彼らにとって、ハート・ロッカー(棺おけ)とはどちらの世界なのだろうか。

 アカデミー賞の前哨戦となるゴールデングローブ賞で、作品賞と監督賞を受賞したジェームズ・キャメロン監督は「キャスリンが受賞すると思っていたので、スピーチを考えてこなかった」と元妻にエールを贈っている。アカデミー賞授賞式前の恒例行事である食事会でも、ビグローとキャメロンは並んで写真撮影に応えている。離婚時には修羅場を演じただろう二人だが、今では共に映画界で戦う”戦友”のような間柄になっているようだ。才能ある彼らにとっては”夫婦”という枠にハマっているよりも、オスカーを競い合う”同士”という関係のほうが適していたのかもしれない。
(文=長野辰次)

hr03.jpg
『ハート・ロッカー』
脚本/マーク・ボール 監督/キャスリン・ビグロー 出演/ジェレミー・レナー、アンソニー・マッキー、ブライアン・ジェラティ、レイフ・ファインズ、デヴィッド・モース、ガイ・ピアース 配給/ブロードメディア・スタジオ
3月6日(土)より TOHOシネマズ みゆき座、TOHOシネマズ 六本木ヒルズほか全国ロードショー <http://hurtlocker.jp/>

K-19

骨太。

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最終更新:2012/04/08 23:02
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