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J-POP深読みコラム

“演歌界のプリンス”氷川きよしは、いかにして「解き放たれた」のか?

演歌界の革命的な存在だった氷川

 デビューシングル「箱根八里の半次郎」が発売されたのが2000年の2月のこと。この曲がいきなりのヒットを記録し、彼はお茶の間レベルで早々とおなじみの存在となった。当時は、いや、今もそうであろうが、演歌界は新たなスターの登場を待ち望んでいた。そこに現れた氷川は、革命的な存在だったと思う。なにしろイケメンだし、スマートだし、いかにも好青年。優しく、笑顔もさわやかで、そりゃあ演歌好きの女性たち、特におばちゃん、おばあちゃんたちは大喜びだったはずだ。

 楽曲も、昔にはやった「股旅もの」路線をデビューに持ってくる斬新さで、この曲の<やだねったら やだね>は実にユニークだった。言うなれば、ポップだった。

 氷川は「演歌界のプリンス」として君臨していく。02年には「きよしのズンドコ節」がヒット。これはかつて小林旭やドリフターズが唄ったズンドコ節を当て込んだもので、これまたこの時代には誰も唄ってなかった<ズンズンズン ズンドコ>という歌詞も含めた楽曲の個性がウケた。

 この頃、氷川の歌に感じたのは、発声がスマートであることだった。当然、王道的な演歌も唄ってはいるものの、基本的に彼の声が表現する歌には、どこかサラリとした軽やかさ、さわやかさがある。このあたりも支持された要因のひとつにあるように思う。

 さて、見逃せないのは、氷川はキャリアのかなり早い時期からポップス路線の曲も唄い、リリースしていたこと。この活動は、主に別プロジェクトである<KIYOSHI>名義で行われてきた。

 まず、01年に出したクリスマスソング「きよしこの夜」はスタンダード曲ではなくオリジナルで、河村隆一プロデュース。切々と唄われるラブソングである。03年には中村玉緒とTAMAO&KIYOSHI名義で「ラブリィ」をリリース。こちらは阿木煬子・宇崎竜童の夫婦コンビによる楽曲だった。

 翌04年の「evergreen(いのちの唄声)」はFANATIC◇CRISIS、ビリケンと共に組んだ特別ユニットでのバラード。また、06年には映画『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』に「未来」と「believe~あきらめないで~」を提供している。

 また、氷川はポップスやロックのカバー曲も当初から多数唄ってきた。もちろん演歌もたくさんカバーしているが、その一方で演歌以外のジャンルの曲もコンサートやCD、あるいは歌番組といった場で唄っているのだ。

 たとえばTV番組では、「栄光の架橋」でゆず、「傷だらけのローラ」で西城秀樹といった本家と一緒に唄ったり。ほかにも植木等「スーダラ節」、五輪真弓「恋人よ」、BUMP OF CHICKEN「天体観測」、CHAGE and ASKA「SAY YES」などなど……ほんとに多くの楽曲を唄っているのだ。

 歌手たるもの、他人の曲を唄うこと自体は珍しくはない。ただ、演歌歌手である氷川がポップス、ロックの歌を積極的に唄ってきた背景には、やはりそうしたジャンルが好きであるという前提がうかがえる。

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