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歴史エッセイスト・堀江宏樹の「大河ドラマ」勝手に放送講義13

『光る君へ』藤原宣孝・佐々木蔵之介の御嵩詣“衣装センス”と国司を訴える平民の時代性

国司の不品行を朝廷に告発する平民たち

『光る君へ』藤原宣孝・佐々木蔵之介の御嵩詣衣装センスと国司を訴える平民の時代性の画像2
藤原道長(柄本佑)ドラマ公式サイトより

 それから、前回のドラマでは国司の横暴を訴える平民たちがやってくるという場面が描かれていたことに驚いた視聴者もいるでしょう。藤原道隆が「この上訴は却下」と冷たく言い捨てたのに対し、道長が「詳しく審議すべき、民なくば我々の暮らしはない」などと立派なことを言っていましたが、史実の道長はこういう場面ではどのように振る舞ったのでしょうね。ただ、筆者には道長が「信なくば立たず(『論語』)」のような教科書的言動をする人物のようにはあまり見えない気はします。

 紫式部や道長が生きた10世紀末から11世紀前半の日本では、国司の不品行を平民が朝廷に告発する事件が、それなりにありました。少なくとも10数件以上の記録が残されていますから。中でも有名なのが、永延2年(988年)の尾張国の国司だった藤原元命(もとなが)の勤務態度や、その関係者の不法行為を31カ条にもわたって書き連ね、朝廷に告訴する事件が起きたことです。史実では、告発が問題視され、すぐさま元命は罷免されています。

 もともと、国司とは地方の国々に朝廷から派遣された徴税監督でした。国司は地元民から郡司という部下を選出し、郡司が徴税をちゃんと行っているかを監督する立場だったのですが、10世紀くらいからは、自分で農民と直接契約して、恣意的な税を課し、暴利を貪ることができるようになりました。そして国に収める年貢や作物などの外は自分のフトコロに取り込んでしまうわけです。

 教科書的には国司とは下級~中級貴族の仕事などと説明されますが、正確には地方で一旗揚げて蓄財したいと願う、野心家の下級~中級貴族たちが就きたがる仕事で、発言権のある上流貴族にその職を与えてもらえるよう、自腹を切ってでも宮中の儀式や公共事業に貢献するような者がたくさんいました。ドラマのまひろの父・藤原為時も後に越前守に任じられているので、貴人の覚えがめでたくなるよう、史実ではいろいろと頑張ったのでしょう。

 為時は紫式部をつれて任国にまじめに下りましたが、中には国司に任命されても自分の代わりに「目代(もくだい)」と呼ばれる代官だけを派遣する者もいました。いわばフトコロに金の卵を産むニワトリを抱えながら、自身は京都で快適にのうのうと暮らすことができたので本当にズルいのです。

 しかし、国司の不品行を告訴する権利が郡司や農民にもあったので、やりすぎてしまえば先述の藤原元命のように彼らから訴えられ、信頼と国司の職を失いかねませんでした。ただ、ライバルを出し抜いて国司に任命してもらえるほど、コミュニケーション能力が高い人物――つまり、上級貴族からすれば、器用で使い勝手のよい、かわいい部下たちが国司に任命されていたので、藤原元命もこの件で政界追放されたわけでもなく、朝廷の役人としては引き続き勤務継続していますし、彼の子孫からも国司の仕事を勤める者はたくさん出ていますね。

 また、庶民の目から見て、国司=憎悪の対象だったというわけではなく、とにかく儲かる羨ましい仕事というイメージだったようですよ。平安時代後期に成立した『梁塵秘抄』には「黄金の中山に 鶴と亀とは物語 仙人童(わらわ)の密かに立ち聞けば 殿は受領に成り給う」という庶民の間で流行していた歌が収録されています。

 以上、つらつらとお話してきましたが、時代が変われば本当にさまざまなことが変化するものですね。また次回お会いしましょう。

<過去記事はコチラ>

堀江宏樹(作家/歴史エッセイスト)

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『La maquilleuse(ラ・マキユーズ)~ヴェルサイユの化粧師~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『隠されていた不都合な世界史』(三笠書房)。

Twitter:@horiehiroki

ほりえひろき

最終更新:2024/04/07 12:00
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