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『クイーンズ・ギャンビット』が描く“女性の解放”とは?──自由主義に矛盾しないNetflix的フェミと多様性

性的な対象に見られ差別的に扱われる男

 先述の『クイーンズ・ギャンビット』の結末は、主人公のベスの成長だけではなく、彼女に打ち負かされた男たちの一種の再生の物語にもなっていた。

 そこにも表現されているように、フェミニズムというのは、女性の問題だけではない。女性たちがそれまでの不公正や抑圧から解放されるというときに、その不公正や抑圧の大部分は男性に由来しているのであって、フェミニズムを考えることは必然的に男性性を考え直すことにもつながらざるを得ない。Netflixにはそのための作品も用意されている。

 なんと言っても面白い作品は、『軽い男じゃないのよ』であろう。女性蔑視的な主人公ダミアンが、ある日、頭を打って気絶し、気がついてみると男女の権力が逆転した世界にトリップしていたというこの荒唐無稽な映画は、ナオミ・オルダーマンの小説『パワー』(安原和見訳、河出書房新社、18年)を彷彿とさせる。

 ダミアンは女性の視線の中で性的な対象としてのみ見られ、無駄毛を処理し、職業の上でも差別的な扱いを受け、しまいには「男性解放運動」に参加したりもする。もちろん、このような作品に対しては、男女を入れ替えただけで、男女の性役割の不平等性の構造がそのままに保存されているではないかという反論ができるだろう。

 だが、この作品の主眼はそこにはない。実践しているのは、韓国におけるフェミニズムの一部で採用されてきた「ミラーリング」の戦略に近いだろう。ミラーリングとは、女性に向けられた差別的な言動をそのまま男性に鏡に映すように投げ返して、その暴力性を、現在の男女差別的な構造を際立たせて見せるという戦略だ。

 男性性について考えさせられる作品といえば、あとは『セックス・エデュケーション』であろう。母親がセックス・セラピストである高校生のオーティスは、自身は童貞であるにもかかわらず、母譲りの性についての知識によって高校で「セックス・クリニック」を開く。オーティス自身の不安定な性的アイデンティティも相まって、このドラマでフォーカスされているのは「有毒の男性性(toxic masculinity)」と呼ばれるものである。

 それは、暴力性や支配といった旧来的な男性性のことであるが、それに苦しめられるのはその暴力の対象になる女性だけではない。男性自身もそのようなマッチョな男性性の「毒」に冒されて苦しんでいる。思春期に有毒の男性性とどうやって折り合いをつけるのか、それを主題としているのだ。

「主流化」していくフェミニズムと多様性

 ここまで紹介した作品はいずれも素晴らしいものだと思うのだが、ひとつ気になっていることがある。それは、まさに『セルフメイドウーマン』のタイトル、つまり訳すなら「独力で叩き上げて立身出世をした女性」というフレーズが表現していることだ。

 フェミニズム的作品として紹介したものはいずれも、飛び抜けた能力を持った女性たちがその個人の力によって抑圧をはねのけ、立身出世していくという筋を持っている。そうすると疑問なのは、フェミニズムが目指した女性の解放とは、そのように、労働市場において個人としての女性が勝ち抜いていけるという意味での「解放」だったのか、もしくはそれだけだったのか、ということだ。

 逆に言うと、現在#MeToo運動などでフェミニズムは非常に盛り上がって目に見えるようになっているかもしれないが、目に見えるようになっているフェミニズムは「ある種」のフェミニズムであり、その一方で隠されてしまっているフェミニズム、もしくは女性たちがいるのではないかということである。

 このような事態は、学問的フェミニズムでは「ポストフェミニズム」として分析が進められている。目に見えるようになったフェミニズムは、市場での個人の選択と努力を強調する新自由主義に矛盾しないようなフェミニズムなのではないか、というのがその主眼である。『クイーンズ・ギャンビット』のベスはポストフェミニズムの苦しみを見事に体現しているだろう。彼女の孤独、薬と酒への依存症は、文字通りに勝ち続けなければならない女性の苦悩である。

 このことは、Netflixの大人気リアリティ・ショーである『クィア・アイ』にも当てはまる(18年~現在シーズン5まで完結。また、日本を舞台にした『クィア・アイ in Japan!』も19年に配信された)。03年に放映されたオリジナル・シリーズのリブート版であるこのシリーズでは、ゲイとノンバイナリーの5人組「ファブ5」が、イケてないファッションと生活の依頼者を変身させ、それによって人生に前向きな人物へと生まれ変わらせる。

 私自身、この番組は好きでいちいち感動もするのだが、それにしてもやはり、この番組はポストフェミニズム的なものを色濃く持っている。それは、「イメチェン文化(makeover culture)」と呼ばれるものの問題であり、ファッションやインテリアなど、一言で言えば「ライフスタイル」を一新することが、つまり資本主義下の消費文化が、解放をもたらすような文化の問題だ(コンマリももちろん、買うのではなく捨てるのだから裏返しではあるものの、その一部である)。

 集団的に連帯をした政治運動ではなく、個人による消費とライフスタイルの変更に解放を求める。これはポストフェミニズムと呼ばれる状況の一大特徴だ。#MeToo運動を牽引したのが、消費文化の精髄ともいうべきセレブリティたちであったことを考えるべきだろう。『クィア・アイ』においてはLGBTQが、多様性が、そのような「イメチェン文化」のために利用される。

 同じようなことが、20年に人気を博したNetflixドラマのひとつ、『梨泰院クラス』についても実は言える。この作品はその高い能力を自分の人生のために使おうとする女性たち、韓国社会で差別を受けるトランスジェンダーやアフリカ系の韓国人などが登場し、多様性をひとつのテーマにしている。だが、その多様性は結局、「半沢直樹みたい」とも形容されるマッチョな資本主義的競争の物語へと回収されてしまっているのだ。

 このように、Netflixのフェミニズム的・ダイバーシティ的作品を評価するにあたっては、それらの「主流化」の問題も考える必要がある。ただし、Netflixで日本を代表してしまっているのが、出演者に不本意な演出を強要したAV監督を英雄化する『全裸監督』(19年)であるという状況では、「主流化」を問題にするのはためらわれるのだが……。

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