日刊サイゾー トップ  > 山手線の穴場・田端の価値とは
不動産価格の高騰、ついに潮目がきた!不幸にならない再開発の街購入(田端編)

田端駅、山手線で家賃が一番安い!? 文豪に愛された時代の面影残る穴場の街の価値

1. 東京、田端はどのような都市なのか?

山手線田端駅、大正期の文豪に愛された古き良き時代の面影が残るの画像3

 まず、田端駅、西日暮里駅、巣鴨駅の年収別の世帯数の割合を比較してみました。どの駅も同じ割合ですが、田端駅は西日暮里駅同様、年収200万~500万円の収入層の世帯数の割合が60%を占め、一般家庭に愛されているエリアだと言えます。

 また、残り40%を占める、年収600万~1,500万の収入層の世帯数も他の駅同様で、巣鴨や西日暮里同様、田端駅は比較的ゆとりのある世帯も住むエリアだとも言えます。

●1-1.昔の田端は、最先端でおしゃれな街だった

山手線田端駅、大正期の文豪に愛された古き良き時代の面影が残るの画像4
高台から眺める線路

 田端の閑静な雰囲気や高台から眺める風景が一時期、芸術家たちの中で評判となったことがあります。

 明治時代の中ごろの田端は、雑木林や田畑が広がるのどかな農村だったようです。1889年、上野に東京美術学校(現在の東京芸術大学)が開校すると、上野に近い田端に、若い芸術家が移り住むようになりました。

 こうして芸術に携わる人々が同じ地域に集まったことで、1910年には親睦団体「ポプラ倶楽部」が生まれ、テニスコートや西洋料理の店も誕生し、田端は「芸術村」として、当時の流行の先端をいく街となっていったそうです。

●1-2.文豪が多く住んだ田端文士村

山手線田端駅、大正期の文豪に愛された古き良き時代の面影が残るの画像5
『芥川龍之介記念館』建設予定地

 1914年には芥川龍之介が田端に住むようになり、さらに詩人の室生犀星、その2人を中心にして萩原朔太郎や堀辰雄、菊池寛、中野重治ら多くの作家、詩人が集まるようになっていきました。

 田端は文士村と呼ばれ、大正期の文壇を支えるにぎわいを見せました。しかし、1923年の関東大震災で被災したことによって、文士の多くは転出し、さらに1927年、芥川龍之介が亡くなり、田端文士村は終焉を迎えました。

 現在では田端文士村記念館に、田端で活躍した芸術家や文士の作品、原稿などの資料が展示されています。

山手線田端駅、大正期の文豪に愛された古き良き時代の面影が残るの画像6※田端文士村記念館

●1-3.田端駅の交通アクセスは抜群

山手線田端駅、大正期の文豪に愛された古き良き時代の面影が残るの画像7
ホームの様子

 京浜東北線、JR山手線の2線が利用可能です。京浜東北線は埼玉や神奈川方面に乗り換えなしで行けます。

 JR山手線は上野へは8分や池袋へ9分、東京へも15分で行け、都内の主要駅には乗り換えなしで30分以内でどこにでも移動できます。また、終電が遅めなのが便利なポイントだと思います。

●1-4.味わい深い商店街も!今流行のサ道も楽しめる!?

 

山手線田端駅、大正期の文豪に愛された古き良き時代の面影が残るの画像8
田端銀座商店街

 田端駅と駒込駅の中間地点には「田端銀座商店街」があります。この商店街は、個人商店が多く残っていて、お店とお客さんの距離がとても近い人情味溢れる商店街です。

 ちなみに、「佃忠」は、店頭に年中炊きたてのおでんが並び、ベンチですぐに食べることもできます。

 そして、今流行中のサ道も楽しめるモダンな下町銭湯もいくつか存在するのが田端です。中でも東京初の「水素風呂」がある「梅の湯」は注目です。

山手線田端駅、大正期の文豪に愛された古き良き時代の面影が残るの画像9
梅の湯

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