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ドキュメンタリーの鬼才・森達也監督ロングインタビュー

森達也監督が初の劇映画に挑む 家族と郷里を愛する自警団が虐殺を犯した「福田村事件」とは?

20代の頃はお笑いのオーディションを受けたことも

――森監督は立教大学時代は自主映画製作サークルに所属し、大学卒業後は就職せず、俳優として活動することに。石井聰亙(現・石井岳龍)監督の『シャッフル 』(81年)には、メインキャストとして出演していました。

 役者をやっていたのは本当に若い頃です。黒沢清監督の商業デビュー作『神田川淫乱戦争』(83年)にも出ています。セックス中毒のサラリーマン役でした。

――林海象監督のデビュー作『夢見るように眠りたい』(86年)に、森監督は主演する予定だった。

 クランクインの1週間前に僕は入院してしまい、代わりに「状況劇場」を辞めたばかりだった佐野史郎さんが主演したんです。モノクロの無声映画なんて誰も観ないだろうから、いいやと思っていたら、大ヒットしたでしょう。「自分には演技力がないが、運もないのか」と実感して、俳優は諦めました。

――シティボーイズの付き人を務めていた時期もあるそうですね。

 よく知ってますねぇ(笑)。大竹まことさん、きたろうさん、斉木しげるさんは、シティボーイズ結成前に自主映画に出演したりして知っていました。「演劇では食べていけない」と3人がコントを始めた頃、彼らの付き人みたいなことをしていた時期もありました。その頃は、柄本明さんらがいた「東京乾電池」が人気だったんです。

――森監督もお笑いの道に進む可能性があった?

 ありました。劇団の同期生たちとコントグループを結成して、六本木のショーパブのオーディションを受けたことがあります。緊張してガチガチで、全然ダメでした。その時、もうひとり男性がオーディションを受けていました。陰気な、痩せた男性でしたが、歌手のモノマネが抜群にうまかった。お店のママに気に入られて「芸名はどうする?」と尋ねられて、「コロッケでお願いします。コロッケが好きなんです」と、その男性は答えていました。圧倒的な才能を目撃して打ちひしがれました。

――面白いですね。俳優やお笑いの道を模索したものの挫折し、その後ドキュメンタリーの世界で成功。そして、今度は俳優を演出する側に。

 今までそんなふうに考えたことはなかったけど、言われてみたら面白いね。なんだか、グルグルと回ってきた人生なのかもしれない(笑)。(5/6 P6はこちら

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